横浜にある掃部山公園 の紹介と井伊直弼との関係

横浜にある「掃部山公園」は、横浜市内では歴史ある公園です。

掃部山公園は、JR線「桜木町駅」や京浜急行線「日ノ出町駅」からも歩ける距離にあり、公園からみなとみらいの建物が見える好立地にあります。

サクラや紅葉の名所としても知られていて、公園内には日本式庭園もあるなど、横浜中心部におけるオアシスとなっています。

掃部山公園へのアクセス

・住所 神奈川県横浜市西区紅葉ケ丘57

・交通 JR「桜木町駅」から徒歩15分

・駐車場なし

 

住宅街の中にある公園ですが、公園の歴史は古く、1914年に井伊家から横浜に寄付されました。

現在は横浜市では知られた桜の名所になっていて、桜の季節になると酔っぱらいで賑わいます。

公園に向かう途中の紅葉がきれいで、近くには紅葉坂という名前の坂もあります。

掃部山公園の歴史

『江戸時代まで、このあたりは「不動山」と呼ばれる海に面した高台でした。明治初期には、日本初の鉄道開通に携わった外国人技師の官舎が建てられ鉄道事業拠点となりました。鉄道開業後もこの山の地下水が鉄道用水に使われたことなどから「鉄道山」と呼ばれるようになりました。明治17(18884)年、旧彦根藩士(滋賀県)らが一帯を買い取り庭園化し、井伊家に寄贈したことから、井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)にちなみ「掃部山(かもんやま)」となりました。

明治42(1909)年、横浜開港50周年を記念し井伊直弼の銅像が建立され、同時に井伊直弼の子息・直安によって水泉も設置されました。大正3(1914)年には、井伊家よりこの地は横浜市に寄付され、植樹、設備を整え、掃部山公園として開園しました。

掃部山公園には現在約200本の八重桜が植えられ、明治以来の桜の名所としても知られています。震災や戦災で焼けた後も、市民の献木運動で桜や梅が植えられるなど、地域の人から大切に守られてきました。また昭和40(1965)年からは、毎年8月に、伝統芸能や茶道に通じた文化人である井伊直弼をしのび、野点や琴・尺八の演奏などを楽しむ「虫の音を聞く会」が開催され、長きにわたり夏の風物詩として親しまれています。

平成8(1996)年、横浜能楽堂が公園の一角に移転されました。これは、旧加賀藩(石川県)の藩主前田斉泰の屋敷にあったものが移された、本格的な能楽の舞台です。2階の展示廊には、能装束や楽器などの能楽資料が展示されています。』

掃部とは井伊直弼の官位?

井伊直弼といえば、幕末に江戸幕府の大老になって安政の大獄を行い、多くの人を処刑したので悪人のイメージが強いですが、地元では名君として評価されているようです。

特に悪いイメージを決定づけたのが、桜田門外の変ではないでしょうか。

田楽狭間で織田信長に討ち取られた今川義元のように、この事件で名将から一気にダメな武将のイメージが付いてしまいました。

彦根藩(井伊家)にとっては殿様を討ち取られる大事件だったため、お家断絶されかかりましたし、殿様を守れず生存していた家臣には厳しいものとなり、よくて減封、悪ければ打ち首・家名断絶でした。

 

それはそうと、井伊直弼というと、本やドラマなどでは井伊掃部頭と呼ばれているのを見かけます。

掃部頭というのは、朝廷の官位のことをいいます。

官位とは、朝廷からもらう役職を指し、掃部頭は、宮中行事に際して設営を行ったり、殿中の清掃を行う役職の責任者です。

清掃を行う人と聞くとたいしたことなさそうに聞こえますね。といっても実際に井伊直弼が清掃を行うわけではなく、官位はあくまでも権威付けの一つです。

ですから、新潟県の長岡藩の殿様である牧野忠恭が、備前守(びぜんのかみ)という現在の岡山県に関係する官位を名乗ることもおこります。

井伊直弼の像

明治42年7月の横浜開港50年記念を祈念して旧彦根藩士がこの公園に井伊直弼の銅像を建てました。

大政奉還から40年経っても慕われていたとはすごいというか、それだけ旧彦根藩士にとっては誇りであり、無念だったに違いありません。

掃部山公園内の高台には、井伊直弼の銅像が見下ろすように建っています。

公園には、200もの桜の木が植えられているそうです。横浜の中心からも近いので、桜が咲いた時はスーツを着たサラリーマンでいっぱいになります。

現在の銅像は、最初に建てられたものではなく、新しく立て直されたものです。

銅像の後ろに少しだけ見える建物は、「横浜能楽堂」です。ここで能や狂言が上演されてます。

夕方の掃部山公園の様子

夕方になると公園内がライトアップされるので、意外に明るいです。

 

井伊直弼像の前からは、みなとみらいにあるランドマークタワーが見えます。住宅街の中にある公園なので、犬の散歩やジョギングする人がいて夕方でも人出はあります。

 

横浜市の花咲町で生まれた飯岡幸吉の歌碑です。花咲町といえば掃部山公園のすぐ近くです。

 

秋は公園の紅葉が見れます。訪れた時も公園内の植物が所々赤くなってました。

日本庭園前と奥にあるのが休憩所です。

 

日本庭園の近くに子供用の遊具広場もあります。平日の放課後は子供がにぎやかに遊んでます。

 

掃部山公園の桜です。桜の季節はライトアップされ、夜は酒盛りしてるサラリーマンや大学生で賑わいます。

掃部山公園のまとめ

・掃部山公園は、横浜市では横浜公園に次ぐ歴史ある公園。

・掃部山公園は、井伊直弼ゆかりの公園で、公園の名は井伊直弼の官位である掃部頭からとった。

・掃部山公園は、200本の桜が植えてある桜の名所である。