鎌倉から「上行寺東遺跡」と「六浦藩陣屋跡」を経由して野島展望台へ

先日、「おとなの歩き旅 秋」という番組を観たのですが、その番組で鎌倉の鶴岡八幡宮から金沢八景までを歩いて周辺の史跡を紹介していました。

番組の最後は、野島展望台からの景色でしたが、鶴岡八幡宮から普通に歩いたら、片道3時間かかります。

管理人もテレビで紹介された史跡を訪ねてみました。ついでに前から興味のあった「六浦陣屋跡」も訪れてみました。

鶴岡八幡宮

前九年の役の後に源頼義がこの地に石清水八幡宮を勧請したことから始まった鶴岡八幡宮は、鎌倉では一番の観光スポットです。

鶴岡八幡宮から鎌倉側の入口の朝夷奈切通までは徒歩だと1時間くらい歩きます。

鎌倉側の入口まで徒歩だと結構かかりますが、入口まで10分くらいの場所(十二所)までは鎌倉駅からバスが出てます。

バス停から朝夷奈切通の入口までは住宅地と砂利道を歩いていきますが、ほとんど平坦でいけます。

朝夷奈切通

朝夷奈切通(あさいなきりどおし)は、鎌倉時代に切り拓かれた切通で、六浦湊から塩が運ばれた塩の道として紹介されてました。

朝夷奈切通は、鎌倉七口(鎌倉に続く七つの切通)の中でも、もっとも当時の面影を残している切通の一つと言われています。

朝夷奈切通は、鎌倉と六浦とを結ぶ重要交通路として切り開かれました。

当時の六浦には、天然の良港があったと案内板には書いてありますが、当時の六浦は今の六浦と違って金沢全体のことを差していたようです。

当時の金沢は、湾が今よりも深く入り組んでおり、今とは随分と感じが異なっていたようです。

金沢区の歴史という明治時代の資料を見たことがありますが、明治時代の写真を見ても随分と雰囲気が違いました。

朝夷奈切通は、鎌倉時代から続く重要な構造物なので、国の史跡に指定されてます。

鼻欠地蔵

朝夷奈切通を抜けると、六浦原宿線に出ます。

金沢八景に向かうために六浦原宿線を右に曲がって六浦方面へと進みます。

六浦原宿線に出て六浦方面に数分歩くと左手に「上総介塔」があります。

上総介塔は、源頼朝の命を受けた梶原景時によって討たれた上総広常の供養塔です。

上総介広常は、頼朝の旗揚げ後に2万の軍勢を率いてはせ参じています。

頼朝の軍では、最も実力がある武将の一人でしたが、頼朝に疑われたために討たれてしまいました。

 

上総介塔を越えてさらに六浦方面に進んで数分歩くと、左手に「鼻欠地蔵」があります。

「鼻欠地蔵」は、高さ4mに達する摩崖仏で、この地を通る人は地蔵に向かって旅の無事を祈ったそうです。

鼻欠地蔵があった場所は、武蔵と相模との境にあったため「界地蔵」とも言われました。

 

現在は、風化して面影がありませんが、左側の出っ張りが地蔵ではないかとのことです。

案内板では、鼻欠地蔵の横に道がありますが、この道が白山道になります。

白山道は、鎌倉と釜利谷を結ぶ道で、今も釜利谷に出る道を白山道といってます。

釜利谷の方には、磨崖仏、東光禅寺、禅林寺、畠山重保墓、手子神社があります。

上行寺東遺跡

今回の一番の目的が上行寺東遺跡の見学です。

上行寺東遺跡の案内

「中世鎌倉における重要な外交であった六浦を見おろせる小高い丘陵の先端部に位置する上行寺東遺跡は、昭和59年8月・12月と同61年7月~12月の二度にわたる発掘調査によって、鎌倉時代から室町時代初期にかけてのやぐら群と建物跡群を主体とした遺跡であることが明らかにされました。

発見された遺構は、上・中・下段に分かれて存在し、やぐら43基、建物跡7基、墓壙18基、井戸2基、池状遺構と思われる不定形土壙1基などで、それらとともに多量の陶磁器類、石塔類や古銭、銅製品などの遺物が出土しました。

横浜市教育委員会」

 

現在の遺跡は、レプリカとなっていて、歩くとプラスチックの上を歩いているような感覚でした。

 

やぐらの中に壊れた阿弥陀如来像がありました。

 

この遺跡は、マンション開発前の調査で発見されました。

その際に住民から遺跡の保護が要求されましたが、市は工事を中止させることは出来ず、代わりにこの地にレプリカが建てられたということです。

保存して後世に残した方がよかった気もしますが、なくなってしまった以上どうにもなりません。

奥にも3つのやぐらがありましたが、レプリカだとどうしても胡散臭いです。遺跡全体がレプリカなので、わざわざ足を運ぶ価値はないと思いました。

 

東遺跡から上行寺を見渡せました。

番組内で見た朝夷奈切通の目印についても確認できました。山に切れ目のようなものが見えるのですが、それが朝夷奈切通とのことです。

六浦藩陣屋跡

横浜に唯一あった大名家が米倉氏です。

そして、米倉氏の陣屋があったのが金沢八景駅裏手です。

行ってみましたが、陣屋跡とされている地には現在も人が住んでいるようでした。

人が住んでるので写真を撮らずに移動しました。

琵琶島神社

琵琶島神社は、北条政子によって創建された神社です。

「琵琶島は島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われます。

島には北条政子が近江(滋賀県)の竹生島から勧請した弁天を祭ってあります。

もとは瀬戸神社前面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸続きとなっています。」

湾の深さは4mもないようですが、小さな木造船なら問題なかったようです。

野島展望台

野島からの景色は、かながわの景勝50選にも野島夕照として選ばれています。

野島展望台からは、三浦半島や横浜を一望でき、天気が良ければ富士山が見えることもあります。

野島の展望台は、坂を登って行った先にあります。

テレビでは富士山が見えませんでしたが、展望台からの景色で番組が終了しました。