横浜市にある「畠山重保」の供養塔

畠山重保の墓といえば、鎌倉にあるものが有名ですが、横浜市金沢区にも畠山重保のものといわれる供養塔があります。

畠山重保は、関東武士の鑑とうたわれた「畠山重忠」の嫡男です。

 

重保の供養塔があるのは、横浜市金沢区の釜利谷という町で、閑静な住宅街の中にあります。

釜利谷にある福祉施設の近くにある案内図

知り合いのおばあさんが釜利谷の老後施設に入所するので、運転手をさせられました。

その際、手続きやら説明で時間があったので、周りを散策していた時に発見したのが、この案内板です。

現在の金沢区の南部地域は、鎌倉に武家政権が置かれた当初から鎌倉文化圏の一角を構成し、経済的にも軍事的にも重要な場所でした。

この福祉施設の一帯も、北条実時の父、実泰が文暦元年(1234)に六浦荘釜利谷に隠居し釜利谷殿と呼ばれていたことから、その重要性が解ります。

その後金沢氏は、現在の称名寺がある場所周辺を本拠地としますが、仁治2年(1241)朝夷奈切通を開削し国際港六浦津へつながる六浦道がつくられ、さらに嘉元3年(1305)に瀬戸橋が開通するまで、釜利谷の白山道は山越えをして、鎌倉と金沢氏の本拠である称名寺を結ぶ要路となっていました。

金沢は鎌倉に近く、兵を引き入れることも容易なので、北条氏にとって金沢は重要な軍事拠点の一つだったそうです。

 

この地に伝わるものとしては、「新編武蔵風土記稿」に、畠山重忠戦士舊蹟が記されているほか、福祉施設が建てられている敷地にあった畠山重忠の法号、没年月日を記す廟塔等の石塔や東光寺(現東光禅寺)には位牌が伝わっています。

また、鎌倉由比ガ浜で戦死した重忠の嫡子重保についても、坂本村と宿村の境(六郎ケ谷)に五輪石塔の墓があるとの記載があります。

横浜市

 

横浜市金沢区は鎌倉から近かったため、鎌倉時代の有力武将が居宅を構えていたようですが、重保の邸宅は鎌倉にあったはずです。

一般的には、鎌倉の由比ガ浜にあった邸宅跡にある大きな供養塔が有名で、どうして金沢区にあるのか疑問でしたが、どうやら重保が自害したのが釜利谷だったからみたいです。

畠山六郎重保公の五輪塔

「白山道六郎ケ谷公園」の裏手に重保公の供養塔があります。あまりにひっそりとあるので、地元住民でもほとんど知られてないようです。公園も小さいです。

 

公園の裏を進んで少し歩くと重保の廟所があります。

 

入り口には、「畠山六郎重保公廟所(畠山重忠公御子息)」と書いてあります。

 

横浜市金沢区釜利谷にある畠山六郎重保公の墓です。

 

金沢区釜利谷の白山道周辺には、鎌倉時代の武将、畠山重忠・重保父子に関する伝承がいくつか残っています。

江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』に次のように記載されています。

宿村の項に、「六郎谷 白山の内なり、坂本村に畠山六郎重保の墓あり、それに近き邊りなればかく呼。」とあります。

また、坂本村の項には、「畠山重保墓 北の方宿村の境にあり、五輪の石塔にて文字あれど磨滅せり、土人云畠山六郎重保、此邊の山中にて自害せしをここに葬れりと。」と重保の墓のことについてふれています。

 

史跡の中心となるのは、総高107.5cmの五輪塔で、各輪に四方の梵字を刻み、南北朝時代のものと推定されます。

横浜市域に残る安山岩製五輪塔の中でも優品に入りますが、当初の地輪は失われています。

 

平成五年に禅林寺の創建五百年記念事業の際、残存部と均整の取れた地輪が復元されました。

 

毎年三月には、禅林寺が中心となって、畠山氏子孫、地域住民等が参加する墓前祭が行われています。

平成二十六年三月  横浜市教育委員会

 

畠山重保の供養塔の所在:神奈川県横浜市金沢区釜利谷南1丁目4-22

畠山六郎重保の供養塔は、ちょっと分かりにくい場所にあります。

 

六郎というのは畠山重保のことですが、供養塔がある周辺には六郎の名がつく公園や橋があります。

重保の廟所から3分ほど歩いた場所にある「六郎橋」です。

 

釜利谷にある畠山六郎重保公の廟所(墓)は、横浜市の地域文化財に指定されています。

鎌倉にある畠山六郎重保公の供養塔

鎌倉に住んでた時は、毎日のように重保の供養塔がある前の道を通ってましたが、この人は父親ほど有名ではないので立ち止まってゆっくりと見ることはありませんでした。

ちなみに海水浴シーズンは、この道は由比ガ浜へ向かう人でにぎわいます。

 

鎌倉の重保の供養塔は、一の鳥居の横にあります。

写真中央にあるのが一の鳥居で、左側に畠山重保の供養塔があります。写真左の黄緑色の灯りがついている辺りです。

 

鎌倉の畠山重保供養塔所在地:鎌倉市由比ヶ浜2丁目14

 

畠山重保の邸宅はこの付近にあったと伝わっています。

 

石造宝篋印塔

畠山重保の供養塔は、鎌倉市の指定有形文化財になっています。

正しくは宝篋印塔というそうで、五輪塔とは違うようです。

 

左が畠山重保の供養塔です。

 

鎌倉のほうはかなり大きめの供養塔です。

 

以上、畠山重保の供養塔についてでした。