逗子にある「法性寺」は日蓮上人ゆかりの寺院

逗子市にある「披露山公園」に行った同じ日に、同じく逗子市内にある「法性寺」に自転車で行ってきました。

鎌倉や逗子は坂が多く、久しぶりの自転車だったこともあって疲れました。

 

法性寺へ行く前に披露山公園に寄ったのですが、この公園からは江の島がよく見えることで知られており、天気が良ければ富士山も見えます。

ただ、梅雨の時期だとなかなか富士山が見えることは少なく、この日も富士山は見えませんでした。

 

管理人の家から披露山公園までは10分くらいなので、今までに何度も行ってますが、はっきりと富士山が見えたのは乾燥した冬くらいです。

天気が曇りなのは分かってたのに、なぜ行ったのか自分でもよく分かりません。

 

法性寺は、逗子八景の一つに数えられるほど景勝に優れた場所です。 といっても、逗子八景にはいくつか説があって、法性寺が入ってないものもあります。

猿畠山 法性寺(えんばくさん ほっしょうじ)について

法性寺は、逗子にある日蓮宗のお寺で、正式には「猿畠山 法性寺(えんばくさん ほっしょうじ)」といいます。

法性寺の案内

 

日蓮は、鎌倉の「松葉ケ谷(まつばがやつ)」に居を構えてから、鎌倉幕府に「立正安国論」を提出するのですが、立正安国論には当時流行っていた念仏や禅を否定する内容が書かれており、これを恨みに思った念仏信者や禅宗信者、幕府権力者等といった人々に襲撃されて、居宅を焼き討ちされてしまいます。

この日蓮への襲撃が「松葉ケ谷の法難」と呼ばれている事件です。

 

襲撃される直前に、白猿が表れて日蓮をこの地の岩窟に導いて救ったという言い伝えがあります。

このことがあって日蓮は、白猿を山王権現の使いであるとし、法難を救ったこの地で弟子に報恩するよう伝え、弟子である日朗と朗慶によって法性寺が1321年に創建されたそうです。

ここ法性寺には、日蓮六老僧の一人である日朗の墓所があります。

法性寺へのアクセス

法性寺所在地:神奈川県逗子市久木9丁目1−33

 

法性寺へは、逗子駅からだと徒歩で25分くらいかかります。

逗子駅からバスの場合は、逗子駅から「鎌倉駅行のバスに乗って、法性寺バス停で下車して法性寺まで歩く」か、「ハイランド循環のバスで、久木五丁目のバス停まで行き、そこから法性寺まで歩く」かです。

法性寺入口は、少し奥まっているので、初めて来た人は通り過ぎるかもしれません。

入口手前にJR横須賀線の踏切があるのですが、踏切前は、鎌倉方面に右折するクルマで渋滞してます。

 

法性寺山門の手前には、「日蓮大聖人焼打御避難之霊跡」と書かれた石碑が立ってます。

 

法性寺の門は、午前7時から午後6時まで開かれてます。

法性寺は、鎌倉七口の一つ「名越切通」で鎌倉にも通じてますが、近くに「午後6時以降は閉門しますのでお引き返し下さい」と注意書きされた看板が立っています。

法性寺山門内~名越切通入口

法性寺の山門をくぐり抜けて坂を少し上ると法性寺の本堂が左手に見えてきます。

 

「日朗菩薩御廟所」「朗慶聖人供養廟塔」「山王権現」は、本堂横の道をさらに上って行った先にあります。

この先は墓地となっていて、急な坂と階段があり、階段を登った先には原付バイクが停まってました。

 

「日朗菩薩御廟所」は、境内の山上に祖師堂と並んで建ってます。

 

山上には「祖師堂」があります。

現在の祖師堂は、大正十三年(1923)に建てられ、日蓮の等身大坐像が安置されているそうです。

祖師堂の横の岩山には、松ケ谷法難のときに日蓮が避難したとされる小さな洞窟のようなものがあり、その洞窟は「御避難の法窟」と呼ばれています。

 

「開山 越中阿闍梨朗慶上人」と書かれた石碑です。

 

祖師堂や日朗菩薩御廟所と隣接してるのが山王大権現です。階段をのぼると山王様があります。

 

「山王の字の縦三本横一本横三本縦一本の構成は一心三観三観即一心の妙法の心を示すものです。」だそうです。

 

山王様がある場所からは、「お猿畠の大切岸(おさるばたけのおおきりぎし)」が見えました。

 

お猿畠の大切岸がある前の道は、ハイキングコースにもなっているので、天気が良い日はハイキングを楽しむ人の姿を見かけます。

 

近くには、有名な「まんだら堂やぐら群」もあります。

次は、「お猿畠と大切岸(おさるばたけとおおきりぎし)」と「まんだら堂やぐら群」に向かいます。