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「宮城谷昌光 太公望」謎が多い周建国の功労者・呂尚(太公望)

投稿日:2021年11月2日 更新日:

宮城谷昌光先生の太公望を読み終えました。本当は何か月も前に読んだのですが、仕事でやらなければいけないことがあってブログにできませんでした。

 

主人公の呂尚(太公望)は、中国の伝説的な軍師ですが、今から三千年近く前のこともあって謎も多い人物とされています。

日本では、呂尚よりも太公望の名で親しまれていますが、太公望というのは釣り好きの人を指します。しかし、呂尚は、ただの釣り好きじいさんではありません。というより、作品の呂尚はじいさんではなく、結構若いので読んだらイメージが変わるかもしれません。

周の軍師として周の文王、武王に仕え、商(殷)を倒した立役者の一人が呂尚です。

 

ちなみに呂尚は斉を領地として与えられ、春秋戦国時代になると斉は秦と並ぶ強国になりますが、それは何百年も後のこと……。

いずれにしても太公望呂尚が歴史に果たした役割は大変大きいので、知っていて損はありません。

小説の舞台は今から三千年前

小説の舞台となるのは、今から約三千年前の中国大陸です。

中国といっても今のように広いエリアではなく、主に黄河の下流域を中心とした世界です。

時の王朝は商(殷)で、王は悪評高い紂王(ちゅうおう)です。

昔のことなのもあって、呂尚がどういった出自で、どういう経緯で世に出てきたかよく分かってませんが、その辺をどう扱うかで小説の面白さにつながります。

 

物語は、少年時代の呂尚がいた民族が商の兵に襲われ、滅ぼされるところから始まります。

姜族の呂という邑(集落)出身だったので後に呂尚と呼ばれますが、少年時代は望という名前で呼ばれます。

呂尚の父は、姜族の一集団の長をしていましたが、商によって攻められて捕らえられてしまいます。

少年呂尚が生活していた父の集団が攻められたのは、商が生贄を調達するため他の民族の人を狩っていたからです。

 

商に襲われた呂尚は、同じ姜族の同じ集団(姜族にもいろいろある)で育った6人の少年少女と共に逃げながら、出身の邑を滅ぼした商を滅ぼし、商の王である紂王を殺すという誓いを立てます。実際は紂王の父の命令で襲われたのですが、この時には既に死んでおり、もっと残虐非道の息子の紂王を殺す誓いを立てます。

一緒に逃げた集落の仲間とは途中で離ればなれになりますが、少年少女は成長して後に再び合流することになります。

 

商朝は文字を持ってた文明国なので歴史の中心になれましたが、実は当時の中国には周辺に様々な民族がいました。

この小説には、粛慎(満州)、鬼方、土方といった国が登場しますが、実際はもっとありました。

少年呂尚は、鬼方といった民族の長と出会い、助けられながら何とか生き延びます。ただし、鬼方の長も後には殺されて塩辛にされて、諸侯(有力者)に食べられてしまいます。

中国に関する歴史小説や史書を読むと、塩辛にされるシーンがたびたび出てきますね。

周の文王は、紂王の臣下でしたが、紂王に疑われたために長男を煮殺されたうえ、長男の肉入りスープを食べさせられるシーンもあります。

 

呂尚は、文王に招かれて力を貸すのですが、途中で文王が亡くなり、そのあとを継いだ武王の時に商を倒します。

小説では、この時でも中年くらいなので、老人で文王・武王の師になったというイメージとはかなり違います。

 

箕子朝鮮を建国した箕子や、後に呂尚と共に周の建国に大いに貢献した周公旦と召公奭も当然出てきます。

一族を滅ぼされた少年がどのようにして王朝を滅ぼすのかというストーリーが見所です。

 

伝承も多い

呂尚は、現在でも権謀術数、神謀のイメージが強く、兵法書の六韜・三略の著者といった伝承があります。

中には、90歳で文王・武王の師になるといった文書もあるくらい、呂尚は伝承の多い人物です。

覆水盆に返らずでも有名ですが、こちらについては小説の中で漢の朱買臣の逸話と紹介されています。

 

司馬遷の史記には、周の文王が呂尚を迎え入れるシーンがあります。

周の文王が狩猟に出る前に占いをすると、聖人を得ると出ます。狩猟に出た文王は渭水の北岸で釣りをする老人に出会いますが、その老人こそ呂尚でした。文王は「あなたは先君(太公)がいっていた聖人にちがいない。太公はあなたを待ち望んでいた。」と喜び、呂尚を軍師として迎え入れます。

太公が望んだ人物なので、太公望といわれました。

 

作品には、こういった伝承についても触れているので、太公望とは誰?という初めての人にも分かりやすいと思います。

 

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