宮城谷昌光「戦国名臣列伝」ナンバー2の戦国列伝

宮城谷昌光さんの「戦国名臣列伝」を読みました。

戦国時代に活躍した宰相や王を輔弼したナンバー2を取り上げた本です。

戦国といっても日本の戦国時代ではなく、中国の戦国時代の話です。読みやすいので、史記を読んで分かりにくいと思った人におすすめです。

 

小説で登場する人物

歴史に関する小説やマンガが好きでよく買いますが、春秋戦国時代を舞台にした小説は多いです。

春秋戦国時代というのは、周が都を洛陽に移した紀元前770年から、秦が中国を統一する紀元前221年までをいいます。

 

この「戦国名臣列伝」は、戦国時代に活躍した大臣や将軍十六人の話なので、読んでいて面白く、興味を持つ人も多いと思います。

 

この小説で登場する宰相、将軍の名をざっとあげると、越の范蠡(はんれい)、魏の呉起、斉の孫臏(そんぴん)、秦の商鞅(しょうおう)、燕の蘇秦、秦の魏冄(ぎぜん)、燕の楽毅、斉の田単、楚の屈原、趙の藺相如(りんしょうじょ)、趙の廉頗(れんぱ)、趙の趙奢(ちょうしゃ)、秦の白起、秦の范雎(はんしょ)、秦の呂不韋、秦の王翦(おうせん)の十六人です。

読んでみると、史記や史記列伝をさらに分かりやすく解説してある感じなので、歴史の勉強にもなります。

 

史記列伝は訳が分かりやすく、数回読んでますが、いつの年代の人物か分かりにくい点が難点です。

 

いずれの登場人物も有名なので、どこを読んでも面白いのですが、管理人が特に好きなのは、越の范蠡、燕の楽毅、秦の范雎です。

 

越の范蠡(はんれい)

越の范蠡は、日本では意外なところで知られています。

後醍醐天皇が島流しにあう際、児嶋高徳が「天勾践を空しゅうすること莫れ、時に范蠡無きにしも非ず」と励ましたことが有名です。戦前は教科書にこのエピソードが掲載されていたそうです。

 

范蠡が世に出た当時は、隣の呉が強く、越の勾践は范蠡の意見を無視して呉の隙をついて攻めたものの敗れてしまい、命乞いをして馬役人をすることで助けられました。呉王の馬役人となった勾践は、范蠡の補佐によって国力を増強していきました。勾践は恨みを忘れないよう、薪(まき)の上に臥て(寝て)、苦い胆を嘗(な)めたといいます(臥薪嘗胆)。

范蠡や文種の補佐のおかげもあって国力は増強され、越は呉を滅ぼすことに成功します。

范蠡は、勾践が患難を共にすることは出来ても、楽しみをともにすることは出来ない人物と見抜き、呉を征伐した後はとっとと国を出て行きます。この後、范蠡とともに勾践を補佐した功臣・文種は自殺を命じられたのでした。

こういった経緯から范蠡は出処進退の名人といわれています。

 

また、范蠡は商売の名人で、ゼロから巨万の富を築くことに成功したといいます。

 

こちらの小説も読みやすかったです。

 

燕の楽毅

燕の楽毅は、三国志の諸葛亮が尊敬していたことでも有名ですね。

 

当時の燕の隣には当時最強の斉がありましたが、燕の昭王は斉に恨みをもっており、礼をもって楽毅を迎えて、斉を倒したいことを打ち明けると、楽毅は燕一国では無理なので他の諸侯(国)と連合して攻めることを提案します。

秦、韓、趙、魏と連合して斉を攻めた燕は大勝し、楽毅はわずか5年で70以上の城を攻略し、あとは2城を残すのみでした。楽毅にとって不幸だったのはここで昭王が崩御してしまい、太子の恵王が跡を継いだことでした。

恵王は楽毅をよく思っておらず、愚かだったので、斉の田単という人物が流した悪い噂を信じてしまい、楽毅は亡命するはめになります。

楽毅が亡命すると、恵王は燕が攻め落とした斉の城を田単に全て取り返されてしまいました。

いかに楽毅が不世出の英雄だったか分かりますね。

 

秦の范雎(はんしょ)

秦の范雎(はんしょ)は、才能と大望がありましたが、貧しかったため、魏の宰相・魏斉の家臣須賈に仕えることになりました。

斉の襄王と交渉するため、須賈に従って斉に来ましたが、交渉はあまりはかどりませんでした。外交交渉がはかどらず、むなしく日を過ごしていると、須賈の一従者に過ぎない范雎に襄王から金十斤と牛肉、酒が届けられました。

このことが誤解を生み、一行が魏に帰ると范雎は魏斉に笞打ちの刑にされ、あばら骨と歯を折られ、半死半生のまま簀巻きにされて便所に運ばれ、小便をかけられました。范雎は魏斉の家人に死んだことにして出してくれるよう頼んで九死に一生を得ます。

 

范雎は名を張禄と変え、秦に逃れて昭襄王に近づきます。当時の昭襄王は、宰相の魏冄(ぎぜん)をはばかって顔色ばかりうかがってる状態でした。范雎は魏冄の隙をついて、昭襄王に近づいて様々な献策をすると、范雎の才能に驚いた昭襄王は、范雎を信じて魏冄を罷免して追放しました。替わって范雎は秦の宰相になったのでした。

秦の方針が変わったことを知った魏は、須賈を秦に赴かせることにしました。須賈が来ると聞いた范雎は、従者にボロ着を買って来させ、ボロを着て須賈の前に現れました。須賈は范雎が生きてたことに驚きましたが、憐れんで服を范雎に与えました。

范雎は秦の宰相と面会させる手立てがあると言い、須賈と一緒に馬車に乗って宰相の屋敷の門の前に行くと、ここで待つように言って宰相の屋敷に入っていきました。しばらく待っても范雎が出てこないので、須賈が門番に尋ねると、范雎が秦の宰相・張禄であると聞かされます。それを聞いた須賈は、平伏して謝罪しました。

魏に帰った須賈からこのことを聞いた魏斉は逃亡しましたが、逃げ切れなくなり最後は自殺しました。ここに范雎は復讐を見事に遂げたのです。

 

范雎が主人公の小説としては、こちらが面白いです。

 

とりあえずのまとめ

史記は話が長く途中でいつの話か分からなくなることも多いですが、戦国名臣列伝なら西暦も表示されるので、いつの話か分かりやすく、また、解説も豊富なので戦国時代という時代を理解しやすいです。

十六人の人物伝を通じて戦国時代を理解できる隠れた名著なので、これを読めばお気に入りの名臣が見つかることでしょう。