鎌倉五山第三位の「寿福寺」に行ってきました。
寿福寺は、源頼朝の妻である北条政子によって創立されたため、裏山には政子の墓といわれる五輪塔があります。
また、墓地には、高浜虚子や大佛次郎、陸奥宗光といった著名人の墓もあります。
総門から続く参道の雰囲気が何より素晴らしかったです。
寿福寺へのアクセス
寿福寺は、JR横須賀線「鎌倉駅」西口から、バスロータリーを市役所方面へと進み、「市役所前」という交差点を右折して道なりに進んで行った先の左手にあります。
境内には、駐車場はありません。
鎌倉は坂が多いですが、寿福寺は駅から平たんで行けます。
寿福寺の総門です。境内に訪れた時は、修学旅行の中学生であふれてました。
総門手前にトイレが設置してあります。
建長寺や円覚寺のように境内は広くありませんが、鎌倉五山第三位というだけあって趣があります。
鎌倉五山なので観光客にも人気があり、総門の手前で人力車の車夫さんが案内してました。
寿福寺の歴史
寿福寺は、鎌倉五山第三位(臨済宗の格付け)の寺院です。
鎌倉五山は、臨済宗の格付けのことをいい、中国の五山制度に倣って導入した制度です。
鎌倉五山には、一位「建長寺」、二位「円覚寺」、三位「寿福寺」、四位「浄智寺」、五位「浄妙寺」が指定されています。
また、寿福寺のある土地には、源頼朝の父・源義朝の邸宅があったといわれています。
寿福寺の裏には源氏山公園があり、源氏歴代の棟梁が源氏山で戦勝を祈願したといいます。
宗派は臨済宗建長寺派で、山号は「亀谷山(きこくさん)」、寺号は「壽福金剛禅寺(じゅふくこんごうぜんじ)」です。
建立は、源頼朝が亡くなった翌年の正治2年(1200)で、北条政子が明庵栄西を開山に招いて創立しました。
寿福寺境内は、昭和41年3月22日に国の史跡に指定されています。
亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治二年(1200)に頼朝夫人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山の第三位の寺であります。
この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしましたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでやめたといわれています。墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。
現在伽藍は外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などですが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、また仏殿前に四株の柏槇があり、往時のおもかげを残しています。
平成8年3月30日 神奈川県教育委員会
総門の右手前には、「源實朝をしのぶ」と書かれた石碑があります。
源実朝は、頼朝の次男で鎌倉幕府の第三代将軍です。寿福寺とも関係が深く、開山栄西禅師が実朝に献上した喫茶養生記をはじめとする由縁の品々が寺にあるそうです。
寿福寺の総門をくぐると、鎌倉一と呼び声が高い、美しい石の参道があります。この参道を見て、寿福寺が鎌倉五山で一番好きになったという人もいます。
寿福寺の仏殿は普段は一般公開しておらず、中門は閉ざされていました。
こちらが仏殿です。本尊では、釈迦三尊像を祀っています。本日は、公開していませんでしたが、特別公開することもあります。
敷地内にはビャクシンの木もあります。
木で見えにくいですが、寿福寺にある鐘楼です。手前に立ち入り禁止の看板があってこれ以上は進めませんでした。
寿福寺参道を抜けて源氏山公園へ向かう場合は、こんな感じの道を進んでいきます。
裏道を進んで行った先には、墓地がありますが、北条政子と源実朝の供養塔もあります。
左が北条政子の供養塔で、右が源実朝の供養塔です。
余裕があったら、近くの海蔵寺や、山を登って源氏山公園等も回れます。
カイドウが有名な海蔵寺です。
寿福寺のまとめ
・住所 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7
・アクセス JR横須賀線「鎌倉駅」から徒歩10分(鎌倉市ホームページ)
・国指定史跡 鎌倉五山第三位
・宗派 臨済時建長派
・創立 正治2年(1200)
・開山 明庵栄西
・開基 北条政子
・駐車場 なし