源氏ゆかりの山「源氏山公園」と「太田道灌公の墓」を散策

鎌倉にある氏ゆかりの地、「源氏山公園」に行ってきました。

源氏とゆかりのある山なので源氏山公園と言うのですが、源八幡太郎義家が山上に白旗を立てて戦勝を祈願したことから、「旗立山」とも呼ばれています。

日本では源平時代から白旗が源氏の旗印だったため、幕末時代に欧米人から降参の際は白旗を掲げるという話を聞いて日本人は驚いたそうです。

 

源氏山公園の西側には、「葛原岡神社」と「日野俊基の墓」があります。源氏山公園の北西には、浄智寺へと続くハイキングコースもあります。

源氏山公園へのアクセス

源氏山公園へのルートにはいくつかあります。

「北鎌倉駅からハイキングコースで来るルート」や「鎌倉駅から寿福寺横を通るルート」等が有名です。

地図だけでみたら、寿福寺の横を通るルートが近いですが、その場合は人が一人だけしか通れないような道を通ることになります。

鎌倉市のホームページでは、鎌倉駅から源氏山公園まで徒歩20分になってますが、結構急な坂を上るので実際に歩いたら25分以上はかかると思います。

所在地 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目7−1
アクセス JR「鎌倉駅」から徒歩20分

源氏山公園には、駐車場はありませんでした。

ただ、脇にバイクが数台停まっていました。

管理人が帰るときも、バイクで案内板近くまで来て、そこにバイクを停めて園内に入っていく人を見かけました。

自転車で来たことがありますが、途中の坂が急なので自転車で来るのはかなりきついです。自転車の場合は、銭洗弁財天の前の道を通って行きます。

 

 

観光の人は、銭洗弁財天や葛原岡が近いので一緒に見れます。

 

源氏山公園附近では、様々な野鳥が見れます。

空を見上げてみると、確かに鳥の姿を発見。

何の鳥かは不明です。

 

銭洗弁天の前の坂を上って頼朝像がある場所を目指します。

途中には、幹回り2m80cmにもなるクスノキがありました。

2019年の台風の影響で、山の木が倒れて立入禁止になってるところもあります。

鎌倉七口の一つ「化粧坂切通し」

頼朝像がある広場の手前には、鎌倉七口の一つ「化粧坂切通(けわいざかきりどおし)」の出入り口があります。

化粧坂切通しの道は、険しいですが距離はそんな長くはありません。100mくらいといったところです。

この切通しは、新田義貞が北条氏を攻めた際に戦場となった場所で、北条軍の抵抗が激しかったため、義貞はこの地をあきらめて稲村ケ崎から攻め入ったと言われています。

 

稲村ヶ崎を迂回した新田義貞は、鎌倉の街を攻めて鎌倉幕府を滅ぼしました。

 

化粧坂の道を進んで行くと「海蔵寺」「底脱の井」「藤原景清の牢」があります。

 

国指定史跡 化粧坂(けはいざか)

化粧坂は鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「鎌倉往還上ノ道」(武蔵路)の出入り口に当たります。鎌倉の交通の要衝であったことから元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場となっています。

「吾妻鏡』建長3年(1251)12月3日条には、鎌倉の中で小町屋及び売買所を構えてもよい場所の一つとして「気和飛坂山(化粧坂の山上)」と書かれています。坂頂上部は葛原岡とも呼ばれ、元弘2年(1332)後醍醐天皇の倒幕計画に関わった日野俊基が斬首された処刑場でもありました。指定地内の北側には地蔵像や五輪塔などの浮彫りをもつ特徴的なやぐら群(瓜ヶ谷やぐら群)があります。また、周辺の発掘調査では多数の火葬跡が発見されており、化粧坂が交通の要衝であると同時に、都市鎌倉の境界に位置する葬送の地であったことが明らかになっています。

平成21年12月  鎌倉市教育委員会

 

別の日に訪れた海蔵寺です。

源氏山公園の源頼朝像

化粧坂切通しを進まずに、真っすぐ進むと少し開けた場所に出ます。その開けた場所に「源頼朝像が立っています。

源氏山公園は、ハイカーや遠足できている小学生をよく見かけます。この日も遠足中の小学生の団体を見ました。この時期はかなり多く、修学旅行生も見かけます。

 

鎌倉幕府初代征夷大将軍・源頼朝公の像です。

 

源氏山公園からの景色ですが、こんな山にも家が建っているとは驚きです。

鎌倉の住宅地は道が狭いです。再建築不可みたいな土地も多いし、古都保存法みたいな法律があるので、建物が制限されることも多いです。

 

源氏山公園東側のトイレです。場所は、頼朝像を越えた先、100mほど先にあります。源氏山公園内には、西側にある日野俊基の墓近くと、ここにトイレがあります。

 

この日は、小学生が走り回ってましたが、時期をずらせば上の写真のように人が少ないこともあります。

 

公園内で一番高い場所に来ましたが、木が邪魔で眺めは良くなかったです。

 

小さな山ですが、起伏があるので公園内を歩くだけで疲れます。

 

この道を進むと寿福寺方面に出ます。

扇谷上杉家の家宰・太田道灌公の墓

源氏山公園から寿福寺へと抜ける場合は、この道を進んで行きます。

途中には、「この先 通行注意」の看板があります。

 

源氏山公園から寿福寺へと抜ける道を進むと、途中に人一人通れる程度のかなり狭い道があります。

 

途中に「太田道灌公の墓」があってびっくりしました。

太田道灌公の墓

江戸城築城で有名な太田道灌資長はこの地で生まれ、扇谷上杉家の家宰として活躍しました。その曾孫である太田康資の娘梶(後に勝)は、徳川家康の側室として水戸徳川家の初代徳川頼房の養母となり、徳川家を支えました。彼女は出家後に英勝院と号し、三代将軍徳川家光よりここ源氏山一帯を賜って英勝寺を開きました。

この太田道灌公の墓は文政九年(1826)に水戸徳川家の子孫である英勝寺住職が以前の墓を再建したものです。

東光山 英勝寺

太田道灌公墓前祭実行委員会

 

太田道灌の墓から300~400mほど先に寿福寺のトンネルがあります。

 

扇谷に立っている「扇谷上杉管領屋敷迹」の石碑です。この扇谷上杉家の家宰(家を取り仕切る人)が太田道灌でした。

太田道灌の活躍によって関東での勢力を強めた扇谷上杉家でしたが、やがて道灌の活躍は主にとって恐怖となり、下克上を恐れた主人によって道灌は暗殺されたといいます。

道灌死後、伊勢早雲(北条早雲)の関東進出を許してしまい、扇谷上杉はやがて滅亡することになります。

源氏山公園のまとめ

・住所 神奈川県鎌倉市扇ガ谷4丁目7−1

・アクセス JR横須賀線「鎌倉駅」徒歩20分(鎌倉市ホームページ)

・名所 源頼朝像・葛原岡神社・日野俊基墓

・トイレ 東西1か所ずつの計2か所

・植物 桜・あじさい・いちょう・もみじ

・駐車場 なし

・駐輪場 通路脇に停車してる人多い