新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が5月25日に解除されました。
解除を機に近くの寺院をまわってみましたが、鎌倉の寺院の多くは5月末まで引き続き閉門のようなので断念しました。
6月になったので小町の「宝戒寺」に再開初日に行ってみましたが、やっぱり普段よりも観光客は少なかったです。
宝戒寺の前に鶴岡八幡宮があるのですが、鎌倉一賑わうエリアも以前と比べてクルマの量もかなり少なかったです。
新型コロナウイルスの騒動前は、路上駐車も多かった鶴岡八幡宮前の若宮大路ですが、この日は路上駐車も、段葛を歩く人も少なかったです。
「金龍山 宝戒寺」の概要
宝戒寺は天台宗の寺院で、正式には「金龍山釈満院円頓宝戒寺」といいます。
開基は後醍醐天皇、開山は五代国師の円観で、建武二年(1335)に創建されました。
鎌倉時代の執権北条氏の屋敷があった跡地に建てられ、本尊は地蔵菩薩です。
北条氏が滅亡したことで鎌倉時代は終わり、後醍醐天皇の建武の新政が開始されます。
北条氏滅亡時には、北条高時以下870人が自害したとされ、北條氏の霊を慰めるために後醍醐天皇が足利尊氏に命じて宝戒寺を建立させたといいます。
開山の円観は、5人の帝の戒師となったことから五代国師を授けられました。
宝戒寺は、加賀の薬師寺、伊予の等妙寺、筑紫の鎮弘寺とともに遠国四箇の戒場といわれました。
宗派 天台宗
山号寺号 金龍山円頓宝戒寺(きんりゅうざんえんどんほうかいじ)
建立 建武二年(1335)
開山 五代国師円観慧鎮(えんかんえちん)
開基 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
新田義貞の鎌倉攻めにより、この寺の南東にある「腹切やぐら」で、最後の執権・北条高時をはじめ北条一族八百七十余命が自害したと伝えられています。
滅亡した北条氏の霊を弔うため、また修行道場として、後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、北条氏の屋敷があったとされるこの地に寺を建立させました。
境内には四季を通じて花が咲き、九月には白いハギで埋め尽くされる「萩の寺」として有名です。
宝戒寺案内板より
天文七年(1538)には、七堂伽藍がことごとく焼失したそうです。
宝戒寺の近くには、北条氏滅亡の地となったといわれる「腹切やぐら」があり、心霊スポットとしても知られているそうです。
宝戒寺へのアクセス
住所 神奈川県鎌倉市小町3丁目5−22
交通 JR「鎌倉駅」東口から徒歩
拝観料 大人200円、小人100円
駐車場なし・近隣にコインパーキングあり
鎌倉地蔵尊24札所霊場第1番
鎌倉観世音33札所霊場第2番
鎌倉江の島七福神毘沙門天
宝戒寺みどころ
宝戒寺のおすすめ時季は、萩が咲く9月です。
宝戒寺は萩寺と呼ばれるように、9月になると境内一面に白萩が咲きます。
10月には椿が咲き、その他、しだれ梅、桜、水仙、ほととぎす、サルスベリなども見れます。
鎌倉の寺院には、三つ鱗の紋が入った寺が多く、どれも北条氏ゆかりの寺ですが、中でも宝戒寺は北条氏の館があった場所なので特に縁ある場所です。
吾妻鑑や歴史書にも北条氏の館はたびたび出てきます。鎌倉の歴史を動かすような謀はここで計画されました。
比企氏、三浦氏、和田氏といった実力者を排除した北条氏は、支配を確固たるものに築き上げていきます。
流人時代から頼朝の生活を支えたのが比企氏ですが、比企能員の娘は二代将軍頼家の男子をもうけており、北条氏と並ぶ実力者と目されていました。
北条氏の当主であった時政は、一計を案じて比企能員を誘い出すと、能員が北条館に入るなり謀殺してしまいました。
能員を殺害した時政は、北条館から兵を繰り出して比企一族を滅亡させました。比企氏の屋敷があった比企谷には、現在、妙本寺があります。
宝戒寺入口、門には北条氏の家紋である三つ鱗が使用されてます。お客さんは、管理人以外には3人しかいませんでした。
聖徳太子堂
徳崇大権現堂
大聖歓喜天堂
宝戒寺の本堂
宝戒寺の鐘楼
宝戒寺宝篋印塔
無患子(むくろじ)
柏槇(びゃくしん)
おわりに
今年は神奈川にある海水浴場の多くが新型コロナの感染防止のために閉鎖するそうです。
また、図書館や地区センターは、再開の見込みが未定とのことです。
いつ頃再開するのか電話で聞いたところ、1週間ごとに新型コロナの感染状況を見て判断していくそうです。
もう少し落ち着いたら、長谷にある「光則寺」にでも行こうと思ってます。
2020年11月追記:現在は、無事に図書館も地区センターも再開しましたが、連日のように新規感染者数が更新されているのをみると、これから先どうなるか不安です。