【破軍の星】南北朝時代の英雄「北畠顕家」が主人公の歴史小説

北方謙三「破軍の星」を読みました。

 

破軍の星の主人公は、足利尊氏のライバルとして活躍した南北朝時代の北畠顕家です。

 

日本人に人気があるのは何といっても戦国時代で、鎌倉時代末や南北朝時代はいまいち人気がありません。

人気がない南北朝時代なので、顕家を知っているのは歴史好きの人くらいかもしれません。

 

顕家は21歳で亡くなるので、歴史に登場してから消えるまでが短期間ですが、それでも顕家は数々の活躍をしています。

顕家は武将というより高級公家でしたが、顕家は文武両道だったため、南朝方にとっての主力武将の一人でした。

また、顕家は非常に美男だったので歴女からも人気があるようです。

 

顕家は何度も尊氏軍を破る活躍をしますが、やはり若くして亡くなったせいか、楠正成のように知名度がなく、顕家を主人公にしている小説は少ないです。

数少ない顕家を主人公にした小説が「破軍の星」です。

 

北畠顕家は南朝方の有力公卿

北畠顕家は鎌倉幕府末期から南北朝に活躍した公卿ですが、公卿というよりも武将としての活躍が知られています。

 

顕家の父親は、「神皇正統記」の作者として知られている北畠親房です。

公家という高貴な出なのに、顕家には軍事的な才能があり、そのうえ若いので歴史好きの女性に絶大な人気があるそうです。

 

足利尊氏や新田義貞の活躍によって鎌倉幕府は1333年に滅ぶわけですが、顕家は後醍醐天皇に仕える公家の一人として天皇を補佐していました。

鎌倉幕府を滅ぼしたときは、まだ十代の若さでした。その後16歳で陸奥守として北条氏残党を討伐するために奥州へ赴任します。

 

やがて後醍醐天皇と足利尊氏が対立すると、顕家は後醍醐天皇方として、奥州の兵を引き連れて鎌倉へと進撃します。

 

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足利尊氏最大のライバル

「足利尊氏」のライバルとして名が挙がる人物には、「新田義貞」と「楠木正成」がいますが、北畠顕家こそがライバルという人もいます。

 

新田義貞は足利尊氏と同じ源氏という立場からのライバル、楠木正成は尊氏と比べると身分は低いですが戦においては何度も尊氏軍を苦しめています。

そして、北畠顕家は血筋も申し分なく、後醍醐天皇の信任も厚く、軍事的才能も有り尊氏をさんざんに苦しめました。

 

鎌倉で足利軍を破った顕家は、余勢をかって京へ向かって進撃します。

新田義貞や楠木正成と連携して尊氏軍を破り、京を占拠することに成功しました。

 

尊氏が京都を奪い返そうとした「豊島河原合戦」でも、顕家は後醍醐天皇方の主力として戦いました。

結局、尊氏は劣勢を悟って九州へと落ち延びていきます。

 

美青年と「風林火山」の旗

北畠顕家は、美少年として知られており、天皇の御前で「陵王」を舞ったと伝わっています。

陵王というのは、六世紀の中国で活躍した北斉の王族の一人で、蘭陵王(高長恭)のことをいいます。

華北(中国の北側)では、北魏、東魏・西魏、北周・北斉、隋、唐と鮮卑族の支配が続きますが、蘭陵王はこのうちの北斉の王族の一人です。

あまりに美貌に優れていたため、味方が蘭陵王に見惚れないように、戦場には仮面をつけて戦ったといいます。

 

北畠顕家も美貌の人だったそうです。

蘭陵王に扮して天皇の御前で陵王を舞うなんて、顕家自身も美貌に自信があったんでしょうね。

 

蘭陵王を題材にした作品は結構あります。

この小説は読みやすいです。


 

また、日本で風林火山といえば、武田信玄が有名ですが、北畠顕家も風林火山の旗印を使いました。

顕家の方が信玄よりも前の時代の人物なので、信玄よりも前に風林火山の旗を使ったことになります。

 

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21歳の青年の死

総大将として16歳で今の陸奥(東北)を平定し、その後も奥州軍を率いて上洛して足利尊氏を九州へと追い払い、相馬家や斯波家長を撃破するなど、南朝方の大将として大活躍した顕家ですが、伊勢から和泉に転戦している際に戦死してしまいます。

 

顕家は少ない兵ながらよく戦いましたが、衆寡敵せず最後には討ち取られてしまいました。

あれだけ活躍した北畠顕家ですが、亡くなったときはまだ21歳という若さでした。

 

顕家の戦死は南朝方にとっては大打撃でした。

新田義貞と顕家を失った南朝側は、その後は北朝側におされて劣勢に立たされることとなります。

 

 

顕家は戦死しましたが、この後の北畠家は伊勢の国司として戦国時代まで続きます。また、陸奥の浪岡にも陸奥守として北畠氏が戦国時代まで続いています。

伊勢の北畠家は、織田信長の次男に乗っ取られるようにして消えてしまいました。

 

 

「破軍の星」は、顕家が陸奥守として陸奥に赴任したところから始まります。

 

建武の新政で後醍醐天皇により十六歳の若さで陸奥守に任じられた北畠顕家は奥州に下向、政治機構を整え、住民を掌握し、見事な成果をあげた。また、足利尊氏の反逆に際し、東海道を進撃、尊氏を敗走させる。しかし、勢力を回復した足利方の豪族に叛かれ苦境に立ち、さらに吉野へ逃れた後醍醐帝の命で、尊氏討伐の軍を再び起こすが……。一瞬の閃光のように輝いた若き貴公子の短い、力強い生涯。

Amazonによる内容紹介

 

 

管理人的おすすめ度 64/100点

 

 

「吉川英治著 私本太平記」は、足利尊氏が主役ですが、北畠顕家もちゃんと出てきます。こちらもおすすめ。