山岡荘八「日蓮」

小説「山岡荘八 日蓮」の表紙には白い猿が描かれていますが、鎌倉や逗子には日蓮と白猿にまつわる言い伝えのある寺院は多いです。

1260年に日蓮は「立正安国論」を北条時頼に提出しましたが、その書物で他宗を激しく非難したため、これを恨みに思った念仏信者の襲撃を受けていまいます。

その時に白い猿が現れて日蓮を洞窟に誘導し、おかげで日蓮は助かったといわれています。

 

三匹の白猿の伝説がある法性寺

 

山岡荘八「日蓮」では、日蓮の幼少時代から念仏信者に松葉ヶ谷の草庵を襲撃されたところまで描かれており、最後は数匹の猿と遊ぶシーンで終わっています。

山岡荘八「日蓮」は、こんな人におすすめです。

・日蓮宗の人

・鎌倉・逗子在住の人

・日蓮と縁があった場所に住んでる人

・歴史が好きだけど、宗教はちょっと苦手という人

はじまりは日蓮が善日丸と呼ばれたところから

日蓮は、鎌倉時代の承久三年、西暦でいうと1221年に安房の小湊にある漁師の家で生まれました。

父は貫名次郎重忠、母は梅菊といい、日蓮は善日丸と名付けられました。

両親は、善日丸を領地の当主である東条家に仕えさせたかったようですが、善日丸は12歳になると安房の清澄山へ入山し、薬王麿と名を改めることになります。

この日から善日丸改め薬王麿の猛勉強が始まります。

出家して蓮長を名乗る

1237年(嘉禎三年)、16歳になった薬王麿は、出家得度して、今度は是正房蓮長となりました。

22歳になった蓮長は比叡山に入り、ここでも猛勉強をします。

1245年(嘉元三年)、蓮長は比叡山横川華芳谷にある定光院という寺院の住職になります。

 

定光院の住職になった連長でしたが、叡山の大講堂で比叡山・高野山を非難して「法華経こそ釈尊の正しい意なり」と訴えます。

猛勉強した連長には、当時の宗教は誤りと映ったようです。

 

高野山を非難した後に山を下りた連長は、園城寺の書庫で慈覚大師、智証大師一派の著書を読みつくします。

そして今度は京に行き、道元に曹洞禅を学ぶと、続けて臨済禅、密教、和学、孔孟を学びます。

日蓮に改名し、南無妙法蓮華経を唱える

1248年、蓮長は日蓮と名を改めます。

日蓮は、故郷に戻ると領主の東条景信の前で「南無妙法蓮華経」を唱え、法華経が絶対であると説きました。

その際、他宗を激しく攻撃したため、念仏信者となっていた景信の怒りを買ってしまいます。景信は日蓮を捕えようとしましたが、日蓮は間一髪のところで逃げ延びます。

故郷を出た日蓮は、政治の中心地であった鎌倉に向かいます。

 

鎌倉の松葉谷に庵を構えた日蓮は、法華経を広めるために辻説法を始めます。

日蓮の辻説法

日蓮の辻説法跡地

 

1260年(文応元年)7月16日、日蓮は、北条時頼に立正安国論を提出しました。

立正安国論には他宗を非難したことが書いてあり、中でも念仏を強く非難したので、念仏信者に庵を襲撃されてしまいます。

白猿に導かれて難を逃れたというのがこの時(松葉ヶ谷の法難)です。

 

翌年には、伊豆に流罪とされてしまいます。

1264年に許されて故郷小湊に戻りますが、移動中に東条景信に襲撃され、弟子の一人を殺害されてしまいました。

 

元のフビライから国書が来た際は、時の執権である北条時宗に元の侵害を退けるためには法華経を信仰することが大事と説きました。

この結果、日蓮は幕府から危険視され、1272(文永九年)に佐渡へ流罪となります。

 

1274年、許されて鎌倉に戻ると、今度は身延山に庵を構えます。

1282年(弘安五年)10月13日、日蓮は武蔵の池上で亡くなりました。

感想:鎌倉では有名な僧が多数

日蓮と同時代に活躍した僧には、蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)、良寛、然阿(ねんあ)といった鎌倉では有名な人達がいます。

この本を読んで同時代に蘭渓道隆や良寛、然阿がいたことに気づきました。

蘭渓道隆は建長寺の開山として有名で、良寛も極楽寺の開山です。然阿は鎌倉にある浄土宗本山光明寺裏山にお墓があるので、鎌倉在住の人には知られています。

 

日蓮が念仏宗、禅宗、真言宗、律宗といった当時信じられていた宗教をことごとく非難したので、鎌倉中が日蓮に対して敵意を持っていたようです。

幼少時代の話は退屈に感じましたが、比叡山の大講堂で大議論をするシーンあたりから面白くなってきます。

「念仏は無間地獄の業なり。

禅は天魔波旬の行なり。

真言は亡国の法なり。

律は国賊なり。

かく申す日蓮は釈尊のお使い、末法無戒の世にあってただ一人成仏の道を示す一乗法華経の行者なるぞ!」

立正安国は法華経にあり!南無妙法蓮華経!

捧げるは男の情熱。信ずるはその一念――安房国小湊の漁家に生を享けた善日丸は幼くして清澄山に入った。以来、救国の道を求めて懸命に切磋琢磨、勉学に励む。だが時の政権も民衆もいっかな眼を開こうとしない……迫害を超えて、信念を貫く炎の聖者の半生。

 

あわせて読みたいおすすめの本

内村鑑三は、代表的日本人として西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の5人を挙げ、その生涯を叙述する。日清戦争の始まった1894年に書かれた本書は岡倉天心「茶の心」、新渡戸稲造「武士道」とともに、日本人が英語で日本の文化、思想を西欧社会に紹介した代表的な著作である。読みやすい新訳。