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腹切りやぐらと東勝寺跡が鎌倉の心霊スポット?北条一族終焉の地

投稿日:2018年11月6日 更新日:

「北条高時(ほうじょうたかとき) 腹切りやぐら」と「東勝寺跡」は、鎌倉にある史跡です。

 

腹切りやぐらと東勝寺跡は隣接しているので一緒に見るのが一石二鳥でいいと思います。

 

北条高時は、鎌倉幕府第十四代目の執権でしたが、この地で自害したとされています。

そして、腹切りやぐらは鎌倉を代表する心霊スポットとして知られています。

 

東勝寺は、北条氏の菩提寺でしたが、現在は廃寺となっており、土地の上には何も建ってません。

 

鎌倉幕府滅亡と北条高時の最期

北条高時は、二代執権の義時の流れをくむ得宗家の当主でした。

鎌倉幕府14代目の執権を務めた後、24歳で出家しましたが、引き続き幕府の指導者的な立場にありました。

 

当時は、後醍醐天皇がたびたび討幕を企てていた時で、1332年に幕府は後醍醐天皇を隠岐島に配流させ、重臣の日野俊基を斬首したばかりでした。

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1333年に、後醍醐天皇が隠岐を脱出して挙兵すると、高時は鎮圧のために足利尊氏を派遣しましたが、尊氏は後醍醐天皇方に寝返ってしまいます。

後醍醐天皇側に寝返った尊氏、赤松円心らによって六波羅探題は落とされます。

 

同時期に新田義貞も上野(群馬)で挙兵し、討幕のために鎌倉を目指します。

義貞は、各地で幕府軍と戦闘しながら鎌倉近くまで進んで行き、稲村ケ崎を突破して鎌倉に攻め入りました。

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義貞が鎌倉に攻め入ったため、北条高時と幕府軍は抵抗しましたが、奮戦空しく、最期は北条氏の菩提寺である東勝寺に移り、高時は一族と共に自害しました。

自害した人は、一族、家臣等総勢870人と言われています。

六波羅探題が落ちてから約1か月後のことでした。

 

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「北条高時の腹切りやぐら」へのアクセス

北条高時の腹切りやぐらは、JR横須賀線「鎌倉駅」から約1.2㎞、徒歩だと15分ほどの場所にあります。

付近は住宅街のため、駐車場も駐輪場もありません。

そもそも観光名所って感じではないのかもしれません。

 

腹切りやぐらへは、若宮大路から一つ道を入った住宅街を進んでいきます。

途中に標識があるので、標識に気を付けて行けば迷わないと思います。

上の標識は、宝戒寺入り口付近のものです。鎌倉駅方面から来た場合にも標識があります。

 

法勝寺跡入口は、上の写真のような道路の途中にあります。

 

東勝寺跡入口を入って進むと東勝寺橋があります。東勝寺跡と腹切やぐらはこの先です。

 

]個人的に東勝寺橋の上からの眺めが美しかったです。

あと1か月もすれば、紅葉がきれいでしょう。

 

東勝寺橋から腹切やぐらまではさらに1,2分行けばあります。腹切りやぐらは、「祇園山ハイキングコース」の入り口にあります。

 

「北条高時の腹切りやぐら」と心霊スポット?

祇園山ハイキングコースの入り口には「腹切りやぐら」の碑があります。

石碑には、「霊処浄域につき参拝以外立入禁止 宝戒寺」の文字が……。

 

近くには「東勝寺旧蹟」と書いてある石碑が建ってます。

「元弘三年(1333)五月、新田義貞、鎌倉に乱入するや高時、小町の邸を後に父祖累世の墓所東勝寺に篭り、百五十年来殷賑を極めし府下邸第肆廛の今や一面に焔煙の漲る所となるを望見しつつ 一族門葉八百七十余人と共に自刃す、其の北条執権史終局の惨澹たる一駒は実に此の地に於て演ぜられたるなり

鎌倉町青年會」

きんげ
あたりは静かで音を立てたら何かにやられると思いましたね

 

こちらが北条高時の腹切りやぐらです。供養塔があったのでお参りしてから帰りました。

 

東勝寺合戦では、北条一族と家臣の総勢870人が死んだとされているので、腹切りやぐらは鎌倉を代表する心霊スポットにもなっているようです。

 

 

きんげ
管理人は、大学時代に世田谷で「3日前に自殺した人の幽霊」と遊んだことがある等、幽霊とは縁があります
!!

しかし、今回は幽霊の姿も幽霊の鳴き声にも遭遇しませんでした。

腹切りやぐらに実際行ってみると、周りは閑静な住宅地で、とても多くの人が自害したとは思えませんでした。

管理人の他にも二人の外国人がいましたが、案内板が日本語のみなので多分何の史跡か分かってなさそうです。

 

東勝寺跡

腹切りやぐらの手前にある広場のような場所が「東勝寺跡」です。

あたりはただの野原で、とても関東十刹があったとは思えませんでした。

 

現在は、国の指定を受けて立入禁止になっています。

 

「国指定史跡 東勝寺跡

東勝寺は、13世紀前半に鎌倉幕府第3代執権の北条泰時により、得宗(北条氏嫡流)家の氏寺として創建されました。様々な宗派を学諸宗兼学の寺院であるとともに、周辺の地形と一体となった防御のための城郭的な機能も持っていたと考えられています。

元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めにより、幕府の最高権力者であった北条高時は、東勝寺で一族郎党とともに自害し、鎌倉幕府は滅亡しました。平成8・9年(1996・1997)に行われた発掘調査では、幕府滅亡時に焼失したと考えられる建物の跡と、それを覆う10数cmの炭の層が発見されました。

焼失後まもなく、東勝寺は禅宗寺院として再興され、室町時代には関東十刹に列せられましたが、16世紀後半ごろには途絶えたと考えられています。

鎌倉市教育委員会」

 

北条高時の腹切りやぐらと東勝寺跡まとめ・アクセス

住所 鎌倉市小町3丁目11−38

アクセス JR横須賀線「鎌倉駅」東口から徒歩15分

歴史 鎌倉幕府滅亡の地(腹切りやぐら)・北条家菩提寺(東勝寺跡)

駐車場 なし

 

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