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鎌倉

鎌倉七口の一つ大仏切通(だいぶつきりどおし)を散策

投稿日:2019年2月5日 更新日:

鎌倉は、三方を山に囲まれていたため、外との出入り道(切通)がいくつも作られました。

鎌倉と外とをつなぐ道のうち、特に重要な道が鎌倉七口(かまくらななくち)と呼ばれている道です。

 

今回は、極楽寺切通と一緒に大仏切通(だいぶつきりどおし)に行ってきました。

極楽寺切通を今回訪れたことで、鎌倉七口を全て紹介できたことになります。

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鎌倉七口

鎌倉の主要な切通しが「鎌倉七口(かまくらななくち)」と呼ばれるようになるのは、江戸時代からのようです。

徳川光圀の「新編鎌倉志」に鎌倉七口についての記載があります。

 

化粧坂、亀ヶ谷、巨福呂坂、朝比奈切通、大仏切通、名越切通、極楽寺切通、以上の七つが鎌倉七口です。

 

現在も当時の面影を比較的残しているといわれているのが、化粧坂、朝比奈切通、大仏切通、名越切通です。

いずれの切通もハイキングコースになってるので、歩きやすく整備されています。

 

大仏切通へのアクセス

大仏切通の場所 神奈川県鎌倉市
大仏切通へのアクセス JR横須賀線「鎌倉駅」からバス、「大仏坂」バス停、または「火の見下」バス停で下車

鎌倉駅からバスに乗った場合は、大仏坂バス停が先に、次が火の見下バス停を通過します。

 

「火の見下」バス停

 

少し歩きますが、江ノ電の長谷駅からも行けます。

 

長谷駅は、アジサイで有名な長谷駅と大仏で有名な高徳院の最寄り駅なので利用者が多いのですが、駅はレトロ感があります。

駅が小さいので、特にアジサイの時期は人であふれそうになることもあります。

 

鉄道マニアにも人気の駅で、カメラ片手に電車待ちをしている人をよく見かけます。

 

極楽寺切通

大仏切通に行く前に極楽寺切通へ行きました。

 

営業時代、極楽寺へは毎日のように通ってましたので少し懐かしく感じました。

 

極楽寺は、極楽寺駅前にあります。

極楽寺では、撮影が一切禁止となっています。

 

極楽寺から由比ガ浜へと続く道が「極楽寺切通」になります。実際は少しずれてるそうです。

現在は、道が舗装されていて車も通れるようになっています。

当時の面影はあまり残っていません。

そういえば海街diaryの撮影現場にもなってましたね。

 

通り沿いには、アジサイで有名な成就院があります。

アジサイの時期になると、この通りを歩く多くの人を見かけますが、時季外れだったので人がほとんど歩いてませんでした。

今はアジサイがなくなってしまい、あじさい寺ではなくなってしまいました。

 

極楽寺坂の通り沿いにある事績です。

「此所往古畳山ナリシヲ極楽寺開山忍性菩薩疏鑿シテ一條ノ路ヲ開キシト云フ、即チ極楽寺切通ト唱フルハ是ナリ、元弘三年ノ鎌倉討入リニ際シ大館次郎宗氏、江田三郎行義ハ新田軍ノ大将トシテ此便路ニ向ヒ、大佛陸奥守貞直ハ鎌倉軍ノ将トシテ此所ヲ堅メ相戦フ」

新田義貞は、極楽寺坂から鎌倉を目指そうとしましたが、ここから鎌倉に入ることは難しいと判断し、稲村ケ崎から鎌倉入りしました。

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極楽寺切通から大仏切通へ

極楽寺切通から再び長谷駅まで戻り、今度は大仏切通を目指します。

大仏切通に向けて、駅前のこの道を通って北上していきます。

 

御霊神社は、鎌倉権五郎を祀っている神社です。

権五郎は典型的な鎌倉武士といわれる人物で、矢で眼を射られた話が有名です。

 

 

通り沿いは寺院が多く、道を曲がってこの道を進んで行くと光則寺があります。

 

長谷寺は、この日も外国人観光客がとても多かったです。

 

高徳院と周辺も多くの外国人観光客で賑わってました。

 

高徳院の前の道をさらに進んで行くと大仏坂バス停が見えてきます。

今回は、大仏坂バス停側の入口から行きます。

トンネル手前にある階段が、大仏切通に続く大仏ハイキングコース入口になります。

 

中世の面影を残す大仏切通

大仏切通を見て最初に驚いたのが、急な階段が続いていることでした。

階段が上まで続いているのが分かると思います。

大仏切通は、最初の分かれ道を右に進みます。

 

左の階段にも上ってみましたが、上った先には配水池とベンチがあるだけでした。さらに進んで行くと住宅地が現れます。

住宅地をそのまま進んで行くと極楽寺の近くに出るようです。

 

 

再び分かれ道に戻って、今度は右の階段を上って行きます。

途中で大仏ハイキングコースとの分かれ道がありますが、大仏切通へは曲がらずに階段を上ります。

 

階段の上りが結構きついです。

フラフラになって階段を踏み外しては大惨事ですから、休憩しながら行くのがよいでしょう。手すりも使って注意しながら登るようにして下さい。

 

階段を上り切ったので後ろを振り向いてみました。周りの木が茂っていて隙間からしか景色が見えませんでしたが、眺めは悪くありませんでした。

 

階段を上りきった辺りから切通っぽくなります。

と、思ってたら「国指定史跡 大仏切通」の標識がありました。国指定史跡の指定は昭和52年8月10日です。

 

一人が通れる程度しかない道幅の場所もあります。

大仏切通の道は、朝比奈切通や名越切通と比較しても歩きやすいと感じました。

 

この標識の近くから住宅地に抜ける出口がありますが、今回は火の見下の出口を目指します。

 

分かれ道を越えたあたりから、より切通っぽくなってきました。

 

道が狭いので、大軍は通れません。守るに易く攻めるに難いですね。

 

「国指定史跡 大仏切通」の案内板です。

「大仏切通はいわゆる鎌倉七口の一つに数えられ、梶原・山崎を経て武蔵・京都方面へ通じる道路です。記録がないため正確な開削時期は不明ですが、北側にある北条氏常盤亭の存在や、朝夷奈切通や巨福呂坂の整備時期との関係から、仁治2年(1241)から建長2年(1250)ごろに整備されたと考えられています。

元弘3年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めでは、上野国(現在の群馬県)から南下した軍勢が洲崎(現在の深沢・山崎)方面から攻め寄せ、激戦となったことが『太平記』に見えていることから、この地も戦場になった可能性があります。

大仏切通は、江戸時代に経路が変更され、現在の県道鎌倉藤沢線ができたため大規模な破壊を免れ、付近に造られた平場や、ここに開口する「やぐら」と呼ばれる岩窟、そして切岸などと共に、かつての鎌倉の幹線道路のあり方を、今によく伝えています。」

 

案内板の近くに階段があったので上ってみました。

 

四角く切り取ったやぐらのようなものがありましたが、中にはなにもありませんでした。やぐらは鎌倉ではおなじみです。

 

このまま住宅街を進んで行くと「火の見下」バス停に出ます。

 

今回のまとめ

今回、極楽寺を訪れてようやく鎌倉七口のすべてを紹介できました。

 

大仏切通は、高低差があって階段の上り下りがきつかったです。

総距離はそんなでもないので、階段を上り切った後は楽な道でした。

 

大仏切通へは、長谷駅から徒歩で行きましたが、鎌倉駅からバスでも行けます。

 

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