鎌倉にある「佐助稲荷神社」は、源頼朝の夢に出て平家打倒をすすめたという伝説が残る神社です。
このお告げがきっかけで頼朝が平家打倒を成したことから、出世・開運のご利益があるパワースポットとして知られています。
境内には、たくさんのお稲荷さんとたくさんの鳥居があり、テレビや雑誌でもたびたび紹介されてるので、見たことある人も多いのではないでしょうか。
佐助稲荷神社の歴史
「伊豆の蛭ガ小島に流されていた源頼朝が病に伏していた時、「かくれ里の稲荷」と名乗る翁が夢枕に立ち、平家討伐の挙兵をうながしました。
後に幕府を開いた頼朝は、かくれ里に祠を探しあて、稲荷神社を建てたと伝えられます。幼少のころ佐殿(すけどの)といわれていた頼朝を助けたので「佐助」の名を付けたといわれています。
参道登り口に縁結びの十一面観音が祀られています。」
祭神
・宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)
・大巳貴命(おなむちのみこと)
・佐田彦命(さたひこのみこと)
・大宮女命(おおみやひめのみこと)
・事代主命(ことしろぬしのみこと)
「相州鎌倉隠里 佐助稲荷神社由緒
当社は源頼朝公の再建せし古寺にして御祭神は宇賀御魂命(うかのみたまのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・佐田彦命(さるたひこのみこと)・大宮女命(おおみやひめのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)。
頼朝公天下一統の礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し畠山重忠に命じ、佐助山隠里の霊地を選び、社殿を造建せしむ。人々の信仰きわめてあつく、出世稲荷としてその御神徳は広く関東一円に拡がりたり。
さらに寛元の頃(十三世紀中)鎌倉に疫病流行せし時、佐介稲荷の大神再び奇瑞を現し給い、霊種をして薬草を生ぜしめ病苦の者、ことごとく給いぬ。
依頼、神威更にかがやき、商売繁盛、病気平癒、大量満船、学業成就の霊験顕然たり。」
佐助稲荷神社由緒より
佐助稲荷神社の参道とパワースポット
佐助稲荷神社の上社がある階段前に下社があります。住宅地を進んだ先に神社があります。
せっかくなので佐助稲荷神社下社でお参りしました。
佐助稲荷神社下社には、縁結びの十一面観音像が祀られているので、恋愛のご利益があるようです。
佐助稲荷神社の入り口です。住宅地の先にある神社です。
そのまま進むと稲荷神社ではよくある赤い鳥居の道が見えてきます。赤い鳥居の道を進んでいった先に拝殿・本殿があります。
佐助稲荷は修学旅行の人気スポットの一つで、途中の道には修学旅行の学生さんがたくさんいました。
階段を昇った先にあるのが拝殿になります。参拝客の半分以上が学生さんというくらい多いです。
階段を昇ったところから、今まで通ってきた道を振り返ってみましたが、なかなかの景観です。
お稲荷様がたくさんの境内
階段を昇ると「拝殿」があります。
拝殿は、参拝者が拝礼するための建物なので、まずはお祈りしておきます。
拝殿の裏側にあるのが「本殿」です。本殿にはたくさんのキツネの人形が置かれてあります。
境内には、小さなお稲荷さんがそこかしこにあります。
ハイキングコース
佐助稲荷神社の奥には、ハイキングコースに続く道があります。
ハイキングコースへ続く道です。結構急な登り坂もあるので、スニーカーなどの運動しやすい靴じゃないときついです。
ハイキングコースへ続く道の途中には、お稲荷さまや石塔がたくさんあります。
坂を登った先にあるハイキングコースの岐れ道です。右の道は源氏山、左は高徳院に続いています。
岐れ道から佐助稲荷神社を振り返ったときの様子ですが、周りは木に囲まれていて山の中にあるのが分かります。
霊狐泉
階段昇って右にあるのが「霊狐泉」です。
「佐助の稲荷山は往古より麓の田畑を潤す水源の地なり。生命の基のこの湧水を人々霊狐の神水と称え家々の神柵に供えて稲荷のご神徳を戴くなり。今に至るも絶えず涌き出づる霊狐の泉なり。」
湧いている水は、きれいに見えます。
境内には、外国から持ち込まれたアライグマやタイワンリスの外来生物が自然のバランスをくずしていることに警鐘を鳴らす看板があります。
三浦半島のハイキングコースを歩くとタイワンリスをよく見かけますが、ほとんどが外来種のタイワンリスといわれており、かなり問題になっています。
実家の庭でもエサ探しをしているタイワンリスを見かけるようになりました。
佐助稲荷神社へのアクセス
・住所 鎌倉市佐助2丁目11−10
・交通 JR横須賀線「鎌倉駅」西口から徒歩で25分
・駐車場 なし
佐助稲荷神社のまとめ
・佐助稲荷神社は、源頼朝ゆかりの神社の一つ。
・佐助稲荷神社は、開運・出世運のパワースポット。
・佐助稲荷下社にある十一面観音は、縁結びのご利益がある。
・頼朝が若いころは佐殿(すけどの)呼ばれており、佐殿の挙兵を助けたから佐助稲荷と呼ばれるようになった。
・境内にはきつねの人形がたくさん。