お盆休み最終日は、自転車で安国論寺に行ってきました。
この日も朝から猛暑で、午前10時頃には気温が33度に達していました。
日蓮上人が鎌倉で辻説法を行ったときに最初に草庵を設けたのが「松葉ヶ谷」といわれています。
その後日蓮は松葉ヶ谷の草案で著した「立正安国論」を鎌倉幕府に提出しますが、他宗を強く非難したために念仏信者によって草庵が焼き討ち(松葉ヶ谷の法難)されてしまいました。
この立正安国論を著した岩穴が、安国論寺の始まりだそうです。
境内の裏山には、松葉ヶ谷の法難の際に避難したとされる岩穴もあります。
白猿に導かれて避難したそうですが、逗子の法性寺にも似たような言い伝えがあります。
妙法蓮華経山安国論寺
安国論寺は、山号を妙法華経山(みょうほけきょうざん)といいます。
松葉ヶ谷は日蓮聖人の法難で知られる草庵跡地ですが、草庵の元となったのは本堂の向かいの岩窟とされ、この岩窟で「立正安国論」も執筆されたそうです。
文応元年(1260)七月十六日に鎌倉の実質的な最高権力者の北条時頼に立正安国論を提出しましたが、内容が日蓮宗こそ正しいとして他宗を批判する内容であったので、翌月には念仏信者に草庵が焼き打ちされてしまいました(松葉ヶ谷の法難)。
裏山には、法難の際に日蓮が白猿に導かれて一時避難したとされる「南面窟」があります。
また、安国論寺は花の寺としても知られており、山桜、山茶花(さざんか)、カイドウなどが有名です。
安国論寺
・山号 妙法華経山
・建立 建長五年(1253)
・開山 日蓮
・宗派 日蓮宗
日蓮上人草庵址
建長五年(皇紀1913)日蓮上人、房州(安房、現在の千葉)小湊より来たり。此地に小庵を営み始めて法華経の首題を唱へ、正嘉元年(皇紀1917)より文応元年(皇紀1920)に及び岩窟内に籠り立正安国論一巻を編述せしは即ち此所なりと云ふ
皇紀1913年は1253年、皇紀1917年は1257年、皇紀1920年は1260年
立正安国論と松葉ヶ谷法難
日蓮上人は、文応元年(1260)三十九歳のお歳にこの御小庵で、かの有名な『立正安国論』をお書きになり、同年七月十六日前執権北条時頼に建白されました。そのため翌八月二十七日に大難は四度、小難は数々といわれた四大法難の最初、松葉ヶ谷の法難にあわれました。
今も裏山に一時避難された南面窟が残っております。
参拝の栞より
安国論寺へのアクセス
所在地:神奈川県鎌倉市大町4丁目4−18
アクセス:鎌倉駅から徒歩18分
拝観時間:9時00分~16時30分(月曜休日)
拝観料:100円
安国論寺の散策
安国論寺へは10時前に到着したのですが、気温はすでに33度に達してました。
安国論寺の入口付近に自転車が停まってたので、管理人も一緒に並べて停めさせてもらいました。
階段を登った先に見えるのが山門です。階段を登った先に自転車が停まってるのが見えます。
山門の扁額には「安国法窟」とありました。
花の寺と呼ばれるだけあって境内は緑で埋めつくされています。
何個もある大きな石の灯篭が目を引きます。
熊王丸を祀る「熊王殿」です。
この先に「南面窟」があります。
日朗上人の荼毘所
安国論寺の本堂です。
本堂の向かいには「御小庵」があります。
他の見どころ
受付を通ると正岡子規の句碑があります。
子規も安国論寺を訪れているそうです。
富士見台
熊王殿の近くには「富士見台」登口の階段があります。
富士見台までの階段はかなり急です。階段を登っただけで、全身が汗だくになりました。
晴れて空気が澄んでいれば、富士見台から富士山が見えることもあります。
大町から海岸まで一望できます。
湿度が高いせいで遠くがぼやけて見え、海すらハッキリと分かりませんでした。
さらに進むと鐘楼(平和の鐘)があります。山道をさらに進んで行くと南面窟があります。
途中の道はクモの巣がすごく、虫もたくさん飛んでました。寺を出たときには何か所も虫に刺されてました。
花の寺
境内は花の寺というだけあって、妙法桜、カイドウ、山茶花、フジなどが植えてあります。
参道の両脇は緑で埋め尽くされていて、境内全体が緑にあふれている印象を受けます。
市指定天然記念物のサザンカ
まとめ
・安国論寺は、長勝寺、妙法寺とともに松葉ヶ谷の草庵があった場所とされていますが、実際にどこにあったのかは明らかになってません。
・安国論寺の始まりは御小庵の奥の御法窟にちなみます。
・開山は日蓮上人、中興の祖は日叡上人です。
・裏山には法難の際に避難した「南面窟」があります。
・熊王殿横の階段を登ると、富士山を一望できる「富士見台」があります。