司馬遼太郎氏の「三浦半島記 街道をゆく四十二」を読みました。
管理人にとって横浜、鎌倉and逗子といった三浦半島は馴染み深い場所なので、知っている地域や地名が出てくるこの本は読んでいて楽しいです。
少し前の映画「海街diary」も最近になってやっと見ましたが、馴染みの場所がたくさん出てくるのでテンションも上がります。
さて、今回紹介する三浦半島記ですが、この本は源頼朝と三浦一族の興亡から始まり、やがて軍都横須賀に舞台が移って日本海軍の栄光と滅亡に触れられています。
街道をゆくは紀行本・旅行記
「街道をゆく」は、日本だけでなく世界各地の道を歩いて歴史を紹介するという紀行本・旅行記です。
1971年から連載が開始されていて、司馬遼太郎さんが亡くなるまで連載されてました。
1巻の「長州路ほか」から始まって、次は韓国の街道が舞台になるなど、日本国内だけにとどまりません。
三浦半島記は42巻目になりますが、作者死亡により、次の43巻で未完のまま終わっています。
司馬遼太郎さんは、三浦半島記の各地をめぐるため、磯子のホテルを拠点にして三浦半島まで通っていたそうです。
司馬遼太郎さんはこの本で、鎌倉幕府の本質は、土地などの訴訟を扱うことにあると指摘しています。
だからこそ訴訟を処理する能力がないと思われた二代将軍頼家を母の北条政子は追放したというわけです。
四十二巻で作者が歩いた道
司馬遼太郎さんは、横浜市磯子のホテルから電車で三浦半島まで通って取材したそうです。
以下、「三浦半島記 街道をゆく四十二巻」で作者が歩いた道について紹介しています。
鎌倉
鶴岡八幡宮~鎌倉国宝館~源頼朝の墓~問注所跡~若宮大路~江ノ島~極楽寺~鎌倉権五郎神社~由比ガ浜~材木座
六浦道
青砥藤綱邸跡~十二所神社~朝比奈切通~六浦~称名寺~金沢文庫
横須賀
大楠山~秋谷~衣笠城址~佐原~三笠公園~ドブ板通り~料亭小松~永嶋家赤門~信楽寺(坂本龍子の墓)~浦賀~久里浜
目次
武者どもの世、血と看経、時代の一典型、伊豆山権現、三浦大根と隼人瓜、三浦大介、房総の海、崖と海、首都の偉容、銀の猫、化粧坂、青砥藤綱の話、墓所へ登る、頼朝の存念、三浦一族の滅亡、鎌倉の段葛、鎌倉権五郎、横浜のなかの鎌倉文化、頼朝と秀吉、小栗の話、三笠、記憶の照度、昭和の海軍、久里浜の衝撃、ミッドウェー海戦、横浜・二俣川、鎌倉とキスカ島、一掬の水、鎌倉陥つ
三浦半島 街道をゆく42巻
三浦半島の武士といえば、三浦党と鎌倉党が有名ですが、この本でも頼朝の鎌倉政権の成立までに重要な働きをした武士として登場します。
伊豆半島と房総半島と比べると、とても小さな三浦半島ですが、この半島が日本の歴史に果たした役割はとても大きいです。
伊豆で挙兵した頼朝は、石橋山の戦いで完敗すると、房総半島に逃げましたが、房総に渡った後に上総広常や千葉常胤などの有力武士を味方にし、平家と天下を二分するほどの大軍を得ました。
その側には常に三浦党がいて、頼朝を支援し続けました。
三浦半島が歴史において脚光を浴びるのは、三浦半島の付け根にあった鎌倉幕府の時代と、日本海軍の軍都横須賀が栄えた戦前までです。
衣笠や久里浜といった全国区ではない場所の歴史も出てくるので、地元住民は特に楽しめると思います。
鎌倉で語るべきものは、武士たちの節義というものであり、死についてのいさぎよさである。
源頼朝と三浦一族の足跡を辿りつつ、「武士」とは何かを問い、軍港・横須賀に昭和海軍の栄光と悲惨を思う。
武家政権が生まれた地、鎌倉。軍港として、造船の町として昭和海軍を支えた横須賀。三浦半島から発した巨大は栄光の根底にあったものは何か。鎌倉の武士たちと昭和海軍から日本人のありかたの源泉をさぐり、行く末の姿に想いを馳せる。
横浜のホテルに宿泊して勤め人のように通いつつ取材する著者。目的地は、ごく小さな場所ながら日本史を旋回させる舞台となった、三浦半島だ。あまたの武者の血を吸った鎌倉の地を歩いては、現代の日本にとっても重要な要素である武士の起こりと「中世」の成立を考える。横須賀では記念艦として保存されている戦艦「三笠」を再訪し、『坂の上の雲』取材時の「秘話」もつづる。
文庫本にもなっています。
実際に読んでみて
実際に司馬遼太郎さんが訪れて、その場所の歴史を解説しているので、鎌倉に住んでる人は「あ~、あそこかー」などと共感できるはずです。
また、これから鎌倉を観光する人には、この本を読んでから観光すれば、より鎌倉の歴史が堪能できると思います。
鎌倉に住んでいる人にも、これから観光する人にもお勧めできる一冊です。
5点満点でのおすすめ度
鎌倉在住の人 ☆☆☆☆☆(5点)
鎌倉観光する人 ☆☆☆☆(4点)