江ノ島電鉄の「極楽寺駅」を降りて、極楽寺坂方面に歩くと「極楽寺」の山門が見えてきます。
訪れたのが6月だったので、山門の前にはあじさいが咲いててきれいでした。
極楽寺は、鎌倉幕府の有力者であった北条氏との結びつきが強かった寺院で、十大弟子、五輪塔、不動明王像といった文化財も多くあります。
せっかく行った極楽寺ですが、境内は写真撮影が禁止されています。
極楽寺
極楽寺
・宗派 真言律宗
・山号寺号 霊鷲山感応院極楽律寺(りょうじゅさんかんのういんごくらくりつじ)
・建立 正元元年(1259)
・開山 忍性菩薩
・開基 北条重時
・本尊 釈迦如来
極楽寺があるのは、もともと北条重時の別邸があった場所とされています。
極楽寺は、鎌倉では珍しい真言律宗の寺院ですが、開山の忍性が奈良の真言律宗の僧・叡尊(えいそん)の弟子だったからです。
当時の僧侶が成功するには鎌倉幕府の有力者に認められる必要がありましたが、忍性は有力者の北条重時との結びつきに成功しています。
重時は、2代執権義時の三男で、3代執権泰時の弟にあたります。鎌倉幕府の実力者として京都で六波羅探題に就き、鎌倉幕府の安定に寄与しました。
同時期の僧に日蓮がいますが、日蓮は幕府の有力者に認められるために鎌倉で活動しましたがうまくいきませんでした。
日蓮は、忍性に法論を挑みますが、忍性は日蓮を相手にしませんでした。
開山は良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう)。奈良西大寺叡尊(えいそん)門下で戒律を学ぶ。弘長二年(1262)に北条業時に招かれて多宝寺住持となり、その後文永四年(1267)に極楽寺に開山として迎えられました。
極楽寺は正元元年(1259)に深沢に創建され、後に開基となる北条重時が現在地に移転したといわれています。元寇に際しては、幕府の命により異国降伏の祈祷を行い、また、鎌倉幕府滅亡後も勅命により国家安泰を祈る勅願所としての寺格を保ちました。かつての寺域は広大で、中心の七堂伽藍を囲むように多くの子院、そして療病院などの病院施設もあったことが当寺に伝わる絵図からわかります。
案内板より
極楽寺へのアクセス
所在地:鎌倉市極楽寺3丁目6−7
交通:江ノ島電鉄「極楽寺」駅から徒歩2分
Googleマップ
江ノ電の極楽寺駅と極楽洞
江ノ島電鉄は、明治35年(1902)に開業した鎌倉と藤沢を結ぶ路線です。
当時からある路線のまま、今も営業している電車としては日本最古といわれています。
沿線には多くの史跡や寺院があるので、外国からもたくさんの観光客が訪れます。
今でこそ人気の江ノ島電鉄ですが、かつては赤字で廃線も考えられたそうです。
江ノ島電鉄が人気になったきっかけが、ドラマ「俺たちの朝」でした。
ドラマにたびたび登場していたのが「極楽寺」駅だったので、極楽寺駅周辺は若者の観光名所になったそうです。
ドラマをきっかけに黒字化した江ノ電は、今や多くの観光客で賑わう人気の路線となりました。
「海街ダイアリー」でも極楽寺周辺が出ていて、何度も訪れている管理人としても観ていて嬉しくなりました。
海街ダイアリー以外でも、さまざまなドラマや映画に登場する人気のエリアになっています。
海街ダイアリーにも出てきた「極楽寺坂」です。近くにある成就院も人気の寺院です。
極楽寺駅の改札
江ノ電の駅自体、小さな駅舎が多いですが、極楽寺駅もこじんまりとしています。
JRや京急線と比べると車両が短い江ノ電です。海沿いを走る江ノ電に外国人は感動するそうです。
橋の上からは、歴史的な建造物が見えます。
極楽洞は、「江ノ電」の愛称で親しまれている江ノ島電鉄株式会社が所有する煉瓦造りの坑門で、右手の桜橋から見ることができます。アーチの頂部に2箇所の要石を備えたデザインは、全国的にも珍しいもので、今なお建設当時の原形をとどめています。
江ノ電が極楽洞を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせます。
極楽洞は、鎌倉景観重要建築物に指定されています。
まとめ
極楽寺駅を訪れたら、極楽寺を見学した後に、極楽寺坂を通って成就院も見学するのがおすすめです。
通り沿いには、鎌倉十井の一つである星の井があります。
この辺りは海の街なので、海まで歩いて雰囲気を楽しむのもおすすめです。