鎌倉の苔寺として知られている寺院が「妙法寺(みょうほうじ)」です。
妙法寺があるのは名越エリアになります。
注意:2020年8月8日現在、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、当分の間、奥の院(苔の石段等)への観光をお休みしています。また、朱印・首題もお休みしています。
二階堂にある「杉本寺」の苔の階段も、妙法寺と並んで有名です。
杉本寺の山門
新型コロナウイルスの仕事への影響は今も続いているので、8月は自宅や実家でも出来る仕事を中心にして過ごしてます。
今回訪れた妙法寺があるのは住宅地の中なので、車ではなく自転車で行きました。
家を9時過ぎに出たのですが、もう既に外の気温は30度を超えていて、自転車で行くんじゃなかったと後悔しました。
途中でおじいさんが倒れて警察に助けられてましたが、この暑さは高齢者には脅威だと思います。
汗だくになりながら妙法寺に着いたのに、コロナウイルスのせいで臨時休業でした。
仕方ないのでコロナが落ち着いたらまた訪れることにします。
妙法寺について
日蓮上人が、鎌倉で布教を行うために建てた草庵の跡地が妙法寺といわれています。
当時の僧侶が成功するには、権力者に認められる必要がありました。
建長5年(1253)に日蓮は鎌倉へと移り、松葉ヶ谷に建てた草庵を拠点にして、辻説法を日々行ったといわれています。
日蓮が辻説法を行ったとされる跡地です。鎌倉駅からだと徒歩で5、6分といった場所に跡地があります。
1260年に「立正安国論」を書いた日蓮は、この書を当時の最高権力者であった北条時頼に提出したのですが、内容は他宗を強く非難したものでした。
日蓮に非難されて激怒した念仏信者は、日蓮の草庵を襲撃して焼打ちしました。これが「松葉ヶ谷の法難」と呼ばれる事件です。
事件があった後に建てられた法華堂が本圀寺ですが、本圀寺は南北朝時代に京都へ移転しました。
後、日叡(にちえい)上人が、父の霊を慰めるために、この地に建てたのが妙法寺です。
日叡の父の護良親王(もりながしんのう)は、後醍醐天皇の皇子として足利尊氏との戦いで活躍しましたが、讒言によって将軍職を解任され捕らえられました。
北条側と結びつくことを恐れた尊氏の弟直義によって、最期は鎌倉で殺されてしまいました。
日叡は、護良親王の供養と日蓮上人の遺跡を守るため、妙法寺を建てました。
鎌倉宮にある護良親王の土牢
妙法寺は、奥に苔の階段があるため別名「苔寺」ともいわれています。
楞厳山妙法寺(りょうごんざんみょうほうじ)
・山号 楞厳山(りょうごんざん)
・建立 延文二年(1357)
・中興 日叡上人
・宗派 日蓮宗
妙法寺境内の文学案内板
・汾陽(かわみなみ)昌子句碑
・星野立子句碑
・桃林坊・日慈・牛長句碑
緑に包まれた境内
妙法寺といえば苔の石段が有名で、石段を覆い隠すように苔で盛り上がっています。
境内はむせかえるような緑に包まれています。
苔の階段
日蓮ゆかりの草庵跡地があった場所は実は定かではありません。
妙法寺の他、長勝寺と安国論寺もそれぞれ草庵跡地を主張しています。
日蓮ゆかりのこの寺は、江戸時代なると大名家だけでなく将軍家からも尊崇されました。
現存の本堂は、肥後細川家から寄進されたもので、総檜造りです。
細川家の寄進による本堂
境内は草木があふれ、裏山にはリスや鳥が遊んでいました。
妙法寺アクセス
・所在地 神奈川県鎌倉市大町4丁目7−4
・アクセス JR「鎌倉駅」から徒歩17分
・拝観時間 9:30~16:30(12月第2週~3月中旬、7月第2週~9月中旬は土日祝のみ)
・拝観料300円
「松葉ヶ谷御小庵霊跡」の碑
一緒にまわりたい近くの寺院
・妙本寺
・長勝寺
・安国論寺
おわりに
妙法寺の画像を探したのですが見つからず、画像を保管していたパソコンも残ってないので、再び妙法寺に行くことにしました。
訪れたのが8月上旬でしたが、7月第2週~9月中旬の期間は、土・日・祝だけしか拝観できません。
なので土曜日に行ったのですが、新型らコロナウイルスの影響で当分は臨時休業が続くそうです。少なくとも8月いっぱいは苔の階段は拝観できません。
再開したら再び訪れる予定です。