新型コロナウイルスに対する緊急事態宣言が解除されたので、鎌倉の観光客がどれくらいいるか確認に行ってきました。
横浜はだいぶ人出が戻りましたが、鎌倉は以前と比べてかなり少ないです。
特に報国寺周辺は人が少なく、もともと外国人観光客が多かった場所なので、外国人の入国が制限されている現在は周辺がガラガラでした。
報国寺の後、杉本寺、荏柄天神をのぞいた後、ついでに源頼朝の墓参りにも行きました。
その後に鎌倉宮の前を左に曲がって「覚園寺」に行きました。
覚園寺は、鎌倉でも特に文化財が多い寺院です。
鷲峰山 覚園寺
覚園寺は、山号を鷲峰山(じゅぶせん)という真言宗泉涌寺派の寺院です。
鷲峰山 覚園寺
宗派 真言宗泉涌寺派
建立 永仁四年(1296)
開山 智海心慧(ちかいしんえ)律師
開基 北条貞時
覚園寺山門
開基の北条貞時は、8代執権時宗の嫡男として文永8年(1272)に生まれ、得宗家の当主と9代目執権を継いでいます。
「建保六年(1218)、二代執権・北条義時が、戌神将のお告げにより建てた薬師堂が前身です。その後九代執権・北条貞時が、元寇が再び起こらぬことを願い、戒律を中心とした四宗(真言・天台・禅・浄土)見学道場に改めました。
本堂の薬師三尊坐像と十二神将像は鎌倉屈指の尊像です。奥深い境内は静寂としていて、古都鎌倉の面影をよく残しています。
地蔵堂の黒地蔵尊の縁日(八月十日)には、多くの参拝者が訪れます。」
覚園寺案内より
薬師三尊像と十二神将
覚園寺の前身は、二代執権義時の作った大倉薬師堂といわれています。
本尊は薬師三尊で、神秘的な美しさがあります。
本尊の左右には、十二神将が立ち並んでおり、その迫力は見る人を圧倒します。
将軍実朝が公暁に殺害された時、義時は十二神将の戌神(いぬがみ)に導かれたおかげで難を逃れることができたといいます。
北条氏と縁が深い寺院ですが、足利尊氏も尊崇していたそうです。薬師堂の棟札には、尊氏の自筆が残っています。
他にも、愛染明王坐像、不動明王坐像、阿閦如来坐像、木造地蔵菩薩立像、鎌倉十井の一つ「棟立の井(非公開)」といった貴重な文化財があります。
拝観のルール
覚園寺には独自の拝観の決まりがあります。
まず、境内受付から奥は写真撮影が禁止されています。
これより先は撮影が禁止されています。
拝観の際は、案内開始時間が決まっていて、案内者と一緒に拝観します。
案内時間は50分で、拝観開始は1時間ごとです。
拝観時間 10時~
平日開始時間 午前10時・11時、午後1時・2時・3時
土日祝日のみ12時開始あり
拝観料 大人500円、小中学生200円
毎年八月十日は黒地蔵盆
覚園寺の地蔵は黒地蔵といわれており、黒地蔵像と一緒に千体地蔵も祀られています。
毎年八月十日(八月九日夜半過ぎから十日正午まで)は、黒地蔵盆として多くの人がここを訪れます。
亡くなった人への気持ちや願いを黒地蔵尊に運んでもらうため施餓鬼法要が行われます。
ここ覚園寺は、鎌倉二十四地蔵尊の三番札所です。
覚園寺のアクセス
所在地 | 神奈川県鎌倉市二階堂421 |
アクセス | JR「鎌倉駅」の東口4番乗り場から、大塔宮行きのバスに乗り、「大塔宮」バス停で下車。バス停から徒歩10分 |
自動車 | 「朝比奈インター」で下りて、「朝比奈」交差点を鎌倉方面に進み、「岐れ路」交差点を大塔宮に向かい、大塔宮を左に進む |
無料の駐車場はありますが、途中の道が狭いです。
駐車場は、覚園寺の手前を左に入って行きます。
途中の道は狭いですが、駐車場は広々としてます。
次回
来週は、宿屋光則の「光則寺」に行こうと思います。
日蓮は、北条得宗家に仕えた宿屋光則を通して、北条時頼に立正安国論を差し出しました。
光則は、日蓮の高弟の一人日朗の身柄を預かっていましたが、日蓮と接することで光則は教えに感じ入り、やがて帰依するようになります。
光則は自分の屋敷を寺に改め、日朗を開山に向かえて光則寺としました。
光則寺の門