「死刑執行された冤罪・飯塚事件」を読んで、初めてこの事件を知りました。
現在、「北関東連続幼女殺害事件」に関する本も読んでいるのですが、この事件には「北関東連続幼女殺害事件」と似ている点がいくつかあります。
飯塚女児殺害事件は、福岡県にある人口13万人ほどの飯塚市で起きた幼女殺害事件です。
そして、北関東連続幼女殺害事件は、主に栃木県と群馬県で連続して起きた幼女殺害事件をいいます。
福岡と北関東で起きた2つの幼女殺害事件には共通していることがあります。
北関東連続幼女殺害事件には、えん罪となった「足利事件」も含まれるのですが、この足利事件のえん罪となった原因と飯塚女児殺害事件の犯人逮捕の決め手となった原因が同じという点です。
本を読み進めていくに及んで、飯塚幼女殺害事件の冤罪の疑いを強く感じるようになり、だんだん恐ろしくなってきました。
足利事件とは
足利事件は、1990年5月に栃木県の足利市で起きた女児の誘拐殺人事件です。
足利市では、数年前にも同様の女児殺害事件が起きていて未解決だったことから、今回の事件をきっかけに本格的に栃木県警が乗り出したようです。
この事件の犯人とされたのが菅家和利氏でした。
そして、決定的な逮捕の証拠になったのが女児の衣服に付着していた体液と菅家氏のDNAが一致するという鑑定結果でした。
このDNA鑑定の結果によって、1991年12月に菅家氏は逮捕され、2000年7月には無期懲役が確定してしまいます。
冤罪を根気よく訴えた結果、DNAの再鑑定が実施され、証拠は認められず釈放されることになりました。
菅家氏がえん罪で釈放されるのは、逮捕から17年6か月経った2009年6月のことでした。
飯塚女児殺害事件について
飯塚市は、福岡県の真ん中あたりに位置する地方都市です。
1992年2月21日に、福岡県の八丁峠で飯塚市の小学校に通う2人の女児の遺体が発見されました。
当時の日本は、宮崎勤による犯行が行われる等、子供が誘拐される事件が多発していた時代です。
女児の自宅から20キロ離れた場所での遺体発見は、殺人事件としか考えられず、事件後に警察が容疑者としてマークしたのが「久間三千年」でした。
殺害された女児の自宅と久間の自宅は近く、また、女児と久間とが遊んでいたという目撃情報が寄せられていました。
そして、久間が容疑者扱いされる決め手となったのが、遺留品発見現場で不審なワンボックスカーを見たという目撃情報で、その不審なワンボックスカーは久間の所有していた車と似ていたという理由でした。
これらの情報から福岡県警は、久間を参考人として、うそ発見器にかけたうえ、髪の毛と指紋を提出させました。
うそ発見器では、大した成果が得られなかった福岡県警でしたが、髪の毛をDNA鑑定にかけさせたところ、女児の遺体に残された血痕と久間の髪の毛から採取したDNAが一致するという結果を得られました。
ところが、ほかの研究機関に再鑑定をさせてみたところ、DNAは一致しないとの結果だったため、久間の逮捕は見送られました。
他の研究機関のDNA鑑定で一致しないという結果だったにもかかわらず、久間が犯人と見定めた福岡県警は、ここから久間に対する嫌がらせを敢行します。
久間の自宅には昼も夜も警察が張り込み、周辺住民には警察が久間の写真を持って聞きこみにあたったため、久間は周辺住民からも容疑者の目で見られるようになります。
また、警察幹部が地元ラジオ番組で明らかに久間が犯人と決めつけるような発言をしています。
ほかにも久間が出したごみを警察が持ち去ろうとして、警察と久間がもみ合いになったこともあったようです。
久間を容疑者とにらんだ福岡県警でしたが、捜査は進展することなく月日だけが過ぎていきました。
事件から2年7か月が経過した頃、車から新たに血痕と尿痕が発見され、警察が鑑定した結果、被害者女児の血液型と一致するという結果を得ます。
さらに、女児の服に付着していた繊維が久間の車で使われていたシートの繊維と一致したという新たな証拠が見つかります。
これらの新証拠によって久間は逮捕されることとなりました。
しかし、逮捕された久間は犯行を一度も認めることはなく、裁判は進められていきます。
逮捕されてから一度も犯行を認めなかった久間でしたが、裁判の結果は「死刑」でした。
これを不服とした久間は、控訴しますが福岡高裁は1審を支持、また、上告も最高裁で棄却されたため、久間の死刑が確定してしまいます。
逮捕前から一貫して無罪を主張した久間でしたが、2008年10月28日に死刑は執行されてしまいました。
飯塚女児殺害事件の犯人の死刑執行を急いだ?
久間の死刑が執行された翌年の2009年6月、足利事件の犯人とされていた「菅家利和」氏がえん罪として釈放されました。
菅家氏の逮捕の決め手となったのが「DNA鑑定」でした。
足利事件は、最高裁がDNA鑑定を認めて判決を下した初めての事件といわれています。
死刑確定後も菅家氏と弁護団は諦めずに再審を訴え続け、2008年になってようやくDNAの再実施が認められました。
DNA鑑定の再実施の結果、菅家氏と犯人のDNAは一致しませんでした。この結果、死刑は執行停止になり、その後に菅家氏は釈放されました。
この事件がきっかけで飯塚女児殺害事件のえん罪説が急浮上します。
足利事件でえん罪の原因を作ったDNA鑑定の鑑定方法とメンバーがほぼ飯塚女児殺害事件と同じだったからです。
足利事件再鑑定の結果明らかとなったのが、当時のDNA鑑定のレベルは信頼できるレベルのものではなかったということでした。
死刑判決から2年という異例の早さでの死刑執行はどうしたことでしょう、えん罪であることが明るみに出る前に処刑してしまえと考える人間がいたとしたら……。
久間の奥さんは、今も夫の無実を信じているとのことでした。
実際、久間は罪を認めたことは一度もありませんでした。
飯塚女児事件がえん罪と疑われていることのまとめ
・飯塚女児殺害事件には、不審が点があり、えん罪説がある。
・当時のDNA鑑定は信用性に欠ける点が多い。
・飯塚女児殺害事件の証拠に対して警察によるねつ造説が根強い。
・えん罪とされた足利事件と、飯塚女児殺害事件の鑑定方法及び鑑定員がほぼ同じだった。
・飯塚女児殺害事件の犯人の死刑執行が確定から2年という異例の早さで行われている。