世間はゴールデンウィークで賑わってますが、管理人はゴールデンウィークの間は仕事です。
ゴールデンウィークなのに仕事だけというのも悲しいので、ちょっとした合間を見計らって、葉山のパワースポット「森戸神社」に行ってきました。
葉山といえば、高級住宅地として知られる場所ですが、高いのは海側だけで、山側はそれほどでもないです。
この辺りは交通量の割に道路は狭く、直ぐに渋滞します。
観光地でもあるので、ゴールデンウィークや夏場は、道も電車も混雑します。
管理人は、一時期、葉山に住んでいたことがありますが、引っ越した理由は渋滞が嫌になったからでした。
葉山の森戸神社は有名なパワースポット!恋愛成就を願う女子におすすめ
葉山の森戸神社は、昔から縁結びの神社として知られており、今は「恋愛成就のパワースポット」としても有名だそうです。
また、森戸神社は、源頼朝によって創建された源氏ゆかりの神社としても知られています。
恋愛成就のパワースポットなので、以前に森戸神社に行った時も、10代、20代の女性がたくさんいました。
ここは源頼朝公の別邸があった地ともいわれています。
下の写真は、人がいなくなった時を見計らって撮りましたので人が写ってませんが、ゴールデンウィーク初日なので、たくさんの観光客が森戸神社に来てました。
森戸周辺は、午後4時頃は人がたくさんいましたが、午後5時30分過ぎに再度、行ってみたら結構すいてました。
森戸神社へは逗子駅からバス
管理人が森戸に行ったのは、ゴールデンウィーク初日でしたが、海側の道路はどこも渋滞でした。
また、逗葉新道出口から葉山・逗子方面もすごく渋滞してました。
葉山は、狭い道が多いのでクルマだと移動が大変ですが、バイクなら移動がスムーズです。レンタル自転車でもいいかもしれません。
管理人は、原付バイクで森戸神社まで行きました。
森戸へは、鎌倉からなら原付バイクで20分程で到着します。クルマなら逗葉新道の出口からが近いです。
森戸神社は、参拝する人なら無料の駐輪スペースが使えます。
バイクも無料みたいなので、バイクがある人はツーリングがてら森戸神社に立ち寄りつつ、夕陽を眺めるのもよさそうです。
電車で行く場合は、京浜急行線の「逗子・葉山」駅から「葉山(一色)行」のバスが出てるので、「森戸神社」のバス停で下車すれば目の前が森戸神社です。
森戸は「森戸の夕照」として「かながわの景勝50選」の一つに選ばれてる
森戸神社付近にある駐輪スペースに原付バイクを停めて、森戸神社にお参りしました。
神社に行く前に、手前の防波堤に行きましたが、たくさんの釣り人がいました。
葉山の防波堤の上は、いい感じの気持ちいい風が吹いていました。
太陽の光で海が照らされて、光の道ができてました。
ゴールデンウィークの日没時間は、6時過ぎなので、5時30分くらいに着いておくと太陽が落ちていく様を見れるはずです。
森戸神社のお参りを済ませた後、境内裏に行きます。
森戸の夕陽は、「森戸の夕照」として「かながわの景勝50選」にも選ばれています。
それだけ森戸の夕陽が美しいということでしょうね。
ちなみに、かながわの景勝50選の碑は、森戸神社の奥、石原裕次郎の碑の手前にあります。
左が石原裕次郎の碑で、右が堀口大学の碑です。堀口大学の石碑には「花はいろ 人はこころ」と書いてあります。
森戸海岸からは、ウィンドサーフィンを楽しんでいる人が見えました。
遠方から来られたカップルや、火を焚いてバーベキューをしてる人もいました。
森戸は夕陽が有名ですが、夕方でなくてもきれいな景色が見れます。
10月でも、天気がよければ富士山と江の島が見えます。
森戸の夕陽
その日は6時15分頃が日没時間だったので、夕方の6時を過ぎると、夕陽目当ての人が集まってきました。
日中は、富士山が見えなかったのですが、夕方になると太陽に照らされてシルエットが映し出されます。
太陽の左に写ってるシルエットが富士山で、右側の島が江の島です。海では数人のウィンドサーファーがサーフィンをしています。
真名瀬(しんなせ)海岸からは、うっすらと見える富士山、鳥居、灯台、江の島が見えました。
ゴールデンウィークということもあり、どこの海岸へ行ってもカメラを持った人とカップルであふれてました。
みなさんにも是非おすすめしたいスポットなのですが、ゴールデンウィークや夏場は混雑してしまいます。
空いてるのは冬ですが、夕陽は冬の方がいまいちです。
森戸神社・森戸の所在地とアクセス
所在地 | 神奈川県三浦郡葉山町堀内1025 |
交通 | JR逗子駅・京急新逗子駅からバスで15分 |
電車の場合は、逗子・新逗子駅から京浜急行バス海岸まわり葉山行き「森戸神社」バス停
車の場合は、横浜横須賀道路・逗子インターチェンジ経由、長柄交差点通過後、渚橋交差点を左折、森戸橋通過後右側
森戸神社の由緒
御祭神 大山祇神(おおやまつみのかみ)・事代主神(ことしろぬしのかみ)
由緒
永暦元年(1160)、伊豆の蛭が小島に流された源頼朝公は、三島明神を深く信仰し、源氏の再興を祈願した。
治承四年(1180)その神助を得て旗揚げに成功し、天下を治めた頼朝公は、信奉する三嶋明神の御分霊を鎌倉に近きこの聖地に勧請し、永く謝恩の誠を捧げたと伝えられている。
吾妻鏡によれば、歴代将軍自らこの地を訪れ、流鏑馬、笠懸、相撲等の武事を行ったという。
また、厄災が生じると加持祈祷が行われ、七瀬祓の霊所としても重要な地であったと記されている。
パンフレットより