茅ヶ崎方面に仕事で行った帰り道、ちょうど夕日が沈む時間帯だったので、稲村ヶ崎公園に立ち寄りました。
稲村ヶ崎公園は、江の島と富士山が見えたり、美しい夕陽が見える景勝地として知られています。
富士山が見たいのであれば、冬場の天気がいい日に訪れると高い確率で見れます。反対に夏は見えないことの方が多いです。
稲村ケ崎から見える夕日が美しいので、日が沈む時間になると周辺の住民だけでなく、観光客も集まってきます。
稲村ヶ崎公園は江戸時代から有名な景勝地
稲村ヶ崎は、江の島と富士山を同時に見える場所として江戸時代から知られており、浮世絵にも描かれています。
稲村ヶ崎公園内には、「かながわの景勝50選」の石碑もあります。また、稲村ヶ崎公園は「関東の富士見百景」にも選出されています。
石碑の場所からは、江の島が見えます。道路の反対側に有料の駐車場がありました。
日が沈む時間帯になるとカップルが集まってきます。クルマで通る人の中にも、美しさに惹かれてスマホで写真を撮っている人がたくさんいました。
天気が良くても湿気があると富士山は見えません(7月)。
冬の方が湿度が低いので富士山は見えやすいです(1月)。
稲村ヶ崎公園を散策
稲村ヶ崎公園に到着しましたが、日が沈むまで時間があったので公園内を回ってみました。
稲村ヶ崎公園は、あまり広い公園ではありません。階段で上まで行けます。
以前にも来たことがありますが、せっかくなので登ってみました。
湿気が高い夏場なので、江の島ですら霞んで見えました。
上の写真は中腹あたりからの眺めです。
稲村ヶ崎公園内には、お手洗いがあります。知り合いは地元なのに公園内にトイレがあることを知りませんでした。
中に入ってみましたが、結構きれいに掃除されてました。
お手洗いがある場所の前から撮った稲村ヶ崎公園内です。芝生の上に寝転がっている人もいます。
今度は写真の左にある階段を昇ってみました。
階段をのぼるとちょっとした空き地のようなスペースがあります。
さらに階段をのぼると休憩スペースのようなものがあり、いすもありました。
休憩スペースの前からの眺めですが、この時期はあまりいい景色が見れません。
休憩スペースがある奥には「ローベルト・コッホ碑」があります。
碑文の大意
明治42年7月、ドイツの大医コッホ先生が北里博士と一緒に鎌倉に遊び富士山を望みて大変喜ばれた。雲仙山頂でコッホ先生は日の出と日暮れの素晴らしさを見て堪能された。
帰国後数年も経たないうちに亡くなられたので、山の所有者である村田氏らと相談し、石碑を建てて事績を遺そうと考えた。山の下の稲村ケ崎は新田義貞中将が武運を祈って刀を沈めたといういわれのある地である。海と富士山のおりなす絶景のこの地を今は海外の偉人がここに留まって風景を賞した所として世に伝えるべきと考える。
大正元年9月 永坂周記弁書
コッホといえば、細菌学者として大変有名な先生です。まさか鎌倉に来て富士山に感動していたなんて驚きです。
中腹辺りが個人的にはベストかなと思いました。
かながわの景勝50選の石碑がある辺りも視界に余計なものが入らないのでおすすめです。
新田義貞の石碑
稲村ヶ崎公園の入り口付近には、新田義貞の石碑があります。
1333年に、鎌倉幕府に対して挙兵した義貞は、上野(今の群馬)から鎌倉に向けて進軍しました。
義貞は、各地で幕府軍と戦いながら鎌倉へと進みますが、幕府軍は鎌倉中に兵を配して備えていました。
義貞は化粧坂から侵入を試みて幕府軍と戦いますが、なかなか攻めきれません。
そこで、義貞は、化粧坂を弟に任せて稲村ケ崎から鎌倉に攻め入ることを計画します。
当時は急な崖で道が狭いためになかなか稲村ケ崎を越えられませんでした。
また、海側は北条軍の軍船が待ち構えており、海側を渡って鎌倉入りするのは無理な状況でした。
そこで、義貞が念じて剣を海に向かって投げ入れると、急に潮が引いて渡れるようになり、北条軍の軍船も沖合に離れたため、鎌倉へ攻め入ることができたそうです。
義貞が剣を投げ入れたとされているのがこの地とされており、園内入口の近くに石碑が建ってます。
スラムダンクで有名な鎌倉高校前は外国人だらけ
江ノ島電鉄の鎌倉高校前駅の前を通ったので寄りました。
この場所は、アニメ「スラムダンク」のオープニング曲で登場するモデルとなったとされる場所です。
スラムダンクは海外でも人気があるので、スラムダンクを観て育ったアジアの若者が踏切前で写真撮影をしてました。
写真を撮るのはいいのですが、車の通行も多いので危なっかしいです。この日もクラクション鳴らされてました。
江ノ電も間近で見れるので、電車を撮影する人も多いです。