小田原城に着いたので、城の周辺を自転車で回ってみました。
前回の記事はこちら↓↓↓
「きんげのママチャリ旅・番外編 ママチャリで小田原城を見に行く・その1」
青橋側にある北入口からであれば、小田原駅から小田原城へは歩いて10分くらいで着きます。
着いたはいいのですが駐輪場の場所がどこか分からず、公園の周りをグルグルまわってしまいました。
まわっている途中で、車で来ていた人に2回ほど天守閣への入口を聞かれたので、初めての人は分かりにくいみたいです。そして、迷子の管理人が知るわけがありません。
城への入口は何か所かありますが、どこから入っても天守閣に着くことは出来ます。
車で訪れた場合は、城の付近に有料駐車場が何か所もあるので、そちらを使うといいです。
バイクの場合は、南側の入口に有料駐車場があります。
自転車用の駐輪場を探しましたが、特にないようなので、自転車を押して公園の中に入り、城の前に停めて城内を見学しました。
小田原城址公園
小田原城天守と常盤木門(SAMURAI館)は有料ですが、城址公園に入るのは無料です。
城址公園の入口は、北入口、学橋、正面入口、南入口など、何か所かあります。
こちらが北入口です。自転車用の駐輪場が見当たらなかったので、ここから自転車を押して中に入りました。
東側にある学橋を渡ると、NINJA館がある二の丸になります。NINJA館は、コロナのせいか平日はやってませんでした。
正規登城ルートは、こちらの正面入口からになります。
見えている門が「馬出門」です。
南入口の御茶壷橋です。
江戸時代に、江戸から宇治まで空の茶壷と代金が東海道を渡って運ばれ、帰りはお茶を詰めた茶壷が中山道を通って江戸へ運ばれました。
この橋を渡った先の曲輪に空の茶壷を保管する蔵があったことから、この橋が御茶壷橋と呼ばれるようになったそうです。
バイクの駐輪場は南入口付近にあります。南入口の駐車場はバス専用なので、普通車は近隣の有料駐車場を使うことになるみたいです。
一応、北入口、学橋入口、正面入口、南入口のどこから入っても小田原城天守に行けます。
小田原城の天守閣へは、北入口からが早いです。入口から数分歩けば天守閣の下に着きます。
国指定史跡・小田原城
石垣からの高さは27.2m、日本で7番目に高い城だそうです。
小田原城の歴史
小田原城は、文亀元年(1501)までに、北条早雲が大森藤頼から奪い、以後、北条五代(早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直)の本拠として約100年にわたり、拡張・整備されました。
天正18年(1590)、天下統一を目指す豊臣秀吉との小田原合戦に際しては、周囲約9キロにわたり、塀と土塁によって城下を取り囲んだ総構を築き、北条氏の滅亡後は、徳川家康の家臣・大久保忠世が城主となり、城は三の丸以内に規模が縮小されるとともに、北条時代の城を改変し、三の丸外郭を構築するなど近代城郭の原形が築かれました。
寛永9年(1632)に稲葉氏が城主となり、石垣と水堀による近世城郭へと大きく生まれ変わりました。
その後、貞享3年(1676)に再び大久保氏が城主となり、江戸幕府の西の守りを固める防衛上の要として、幕末まで重要な役割を担いました。
役目を終えた小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、主要な建物は解体されました。
本丸前の広場では飲食店の出店があります。訪れた日は花も売ってました。
広場には犬を散歩させいる人もいます。自転車で訪れている人は一人も見かけませんでした。
城内で最も堅固な門が常盤木門です。現在の常盤木門は昭和46年に再建されたものです。
同じ建物にあるSAMURAI館には、刀や鎧が展示されています。
車いすやベビーカーでも進めるようにスロープの通路もあります。
分かりにくいですが、スロープになってる通路は案内図で青い線で表示されてます。
小田原合戦攻防図
緑の線が総構です。
日本は歴史上、侵略されたことがほとんどないので、築城技術が他の国より発展しなかったそうです。
「銅門(あかがねもん)模型図」です。
城の壁をどのように造っていくか分かります。小学生の遠足によさそうな教材です。
小田原城天守閣
小田原城の天守閣は中に入ることができます。中では小田原城の資料や歴史を紹介しています。
最上階の5階からは、小田原の街や相模湾を一望できます。
「天守」とはお城の象徴ともいえる建物で、お城の内外を見張るための物見やぐらや蔵などとして用いられました。江戸時代までは「殿主」「殿守」などとも記され、「天守閣」と呼ばれるのは明治時代になってからのことです。江戸時代の小田原城は、江戸の西を守る要の城とされ、徳川将軍家の宿所としても用いられました。寛永11年(1634)には、京都へと向かう途中の三代将軍徳川家光が天守に登り、武具を見たり展望を楽しんだりしたという記録が残っています。
案内板より
本丸広場の隅にママチャリを置いて中に入ります。
階段を登った先に受付があります。
入館料
大人 | 小人 | |
天守閣 | 510円 | 200円 |
常盤木門SAMURAI館 | 200円 | 60円 |
2館共通券 | 610円 | 220円 |
小田原城天守閣の開館時間
午前9時から午後5時まで(入館は午後4時30分まで)
休館日は、1月1日、12月第2水曜日、12月31日
建物内は基本的に撮影禁止になっています。興味がある人は行ってみてください。
天守閣の5階は展望デッキになっていて、四方をまわることができます。
天守閣の西側の眺めです。西側方面には箱根連山が見えます。
豊臣秀吉で知られる石垣山一夜城があった場所です。
写真真ん中にある鉄塔の上あたりに一夜城が築かれたそうです。
天守閣南側の眺めです。
真鶴半島と伊豆半島、そして相模湾が一望出来る素晴らしい景色です。
天守閣から東方面の眺めです。
小田原も結構大きな建物があります。かすかに三浦半島が見えてました。
写真では分かりにくいですが江の島も見えます。
江の島は、マンションの上あたりに見えています。
最後に北方面の眺めです。
小田原駅と街の向こうに見える山々は丹沢です。
報徳二宮神社
公園の南西側に報徳二宮神社があります。
この神社は、明治二十七年(1894)四月に、二宮尊徳を祭る神社として創建されました。
報徳というのは、二宮尊徳が説いた経済や社会道徳の思想をいいます。報徳思想の普及活動を行っている報徳社が中心となって建てたそうです。
尊徳は、小田原出身でしたが、小田原藩以外の他藩の復興にも尽くしました。その偉業は、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮とともに、内村鑑三の代表的日本人でも紹介されています。
報徳二宮神社の鳥居
神社境内にある二宮尊徳像です。
二宮尊徳の言葉「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」
そういえば、管理人が通っていた小学校には、薪を担ぎながら読書するといった少年時代の尊徳像が設置されてましたが、先日久しぶりに訪れたら像がなくなってました。
今の時代はこういうのは流行らないのかもしれませんが、苦労しながら勉学に励むという精神は社会に出たら必ず役立ちます。
この日は、七五三のお客さんをチラホラ見かけました。
報徳二宮神社の御社殿です。
小田原城・城址公園へのアクセス
小田原駅から徒歩10分
小田原厚木道路「荻窪IC」から約10分
西湘バイパス「小田原IC」から約5分
Googleマップ
城址公園の周辺には、有料駐車場が何か所かあります。
バイクの場合は、南入口のバス専用駐車場に1回200円で停められます。
おわりに
初めてみる小田原城はなかなか見事なものでした。
数年前に小田原城より大きい名古屋城を見たので、城に対する感動はそこまでではありませんでしたが、ここはここで良かったです。
総構を巡ってみたかったのですが、時間がないので今回は諦めてまた来ます。
城址公園は、市内最大の巨松(おおまつ)、樹齢約520年といわれるイヌマキがあるなど、大きな樹が見れるのも魅力です。