歴史が好きでなくても「堀部安兵衛」は知っているという人は多いです。
堀部安兵衛と言うと「高田馬場の決闘」と「赤穂浪士の討ち入り」が有名でしょう。
特に赤穂浪士として討ち入りを成功させた話は「忠臣蔵」として若い人にも知られており、管理人も忠臣蔵を題材にした小説を読んで堀部安兵衛を知りました。
高田馬場の決闘の方は、自分の周りで知ってる人がほとんどいないのをみると、歴史ファンにしか知られてないのが実際のところかもしれません。
池波正太郎「堀部安兵衛」であれば、安兵衛の幼少期から討ち入りまでが作品を通して知ることが出来ます。
以下ネタバレありです。興味を持ったら買って読んでください。
中山安兵衛、14歳で家無しに
赤穂浪士の討ち入りを題材にした小説は多いですが、高田馬場の決闘を描いた小説は意外と少ないです。
高田馬場の決闘では、誇張された部分も多く、多くの逸話が生まれています。
高田馬場の決闘を題材にした芝居や講談では、18人斬りと誇張されていますが、この小説は現実的な話になってます。
赤穂浪士討ち入りの頃は堀部の姓ですが、最初は中山という姓でした。
安兵衛の中山家は二百石とはいえ、安兵衛の祖母は藩主の娘と、家柄は思っていたよりも良かったみたいです。
父の中山弥次右衛門は、新発田藩の馬廻役であり、同時に辰巳櫓の警衛を受け持っていました。
小説は、父の弥次右衛門が切腹するところから始まります。辰巳櫓を警護している時に出火させてしまい、焼失させそうになった責めを負ったことが切腹の原因ともいわれています。
かくして中山の家は取りつぶされ、安兵衛は十四歳にして家無しになります。
高田馬場の決闘
14歳で浪人することになった安兵衛は、親族を頼りながら各地を放浪することになります。
小説では、安兵衛が浪人をしている時に中津川祐見と出会います。
安兵衛は、祐見に命を救われることもありましたが、何度も煮え湯を飲まされることになります。中山家が取りつぶされる前から関係のあったお秀をめぐって、祐見と真剣勝負もします。
この腐れ縁は、10年後の高田馬場の決闘まで続くことになります。
祐見に敗れた安兵衛が気を失った時に介抱してくれたのが、後に義理の叔父になる菅野六郎左衛門です。
どうして見ず知らずの安兵衛をこんなに面倒見てくれるのか分かりませんが、世に再び出れるよう手はずまで整えてくれます。
有名な堀内道場にも入門し、剣術にのめりこんだ安兵衛は、四天王の一人に数えられるほど剣術の腕前を上げるようになります。
義理の叔父となった菅野六郎左衛門は、伊予西条三万石の松平家に仕える武士でした。
松平家の家臣には、村上庄左衛門、三郎右衛門という兄弟がいましたが、この兄弟の妹は中津川祐見に嫁ぎます。
松平家では、後継ぎをめぐる派閥があって、菅野六郎左衛門と村上兄弟はそれぞれ対立する派閥にいました。また、普段から仲が悪いことでも家中では知られていました。
ある日、菅野家の下女が持っていた桶の水が、歩いていた村上弟にかかってしまうという出来事が起こります。
普段から仲の悪い二人ですから、このことがきっかけとなって菅野六郎左衛門と村上兄弟とは果し合いをすることになります。
村上兄弟は助っ人に義理の兄弟となった中津川祐見を呼びます。この頃の祐見は江戸でも知られるほどの剣術者になっていました。
菅野六郎左衛門は、当日まで安兵衛に黙っていましたが、六郎左衛門の妻の命を受けた使用人が前日に安兵衛を訪れて助っ人を依頼します。
それを聞いた安兵衛は「私は、いまこのときに生まれ、生きてきたかのように思います。」と応諾します。安兵衛力のかぎり叔父上をお守りいたすと答えるシーンはこみ上げてくるものがあります。
菅野六郎左衛門に助太刀した安兵衛は、中津川祐見らを斬って決闘に勝利しますが、六郎左衛門はこの時に負った傷がもとで亡くなってしまいました。
ここまでが「高田馬場の決闘」として後世まで語り継がれることになった決闘です。
赤穂浪士の吉良邸討ち入り
堀部安兵衛といえば、赤穂浪士の討ち入りの方が有名ですが、小説では下巻の終りの方で起きるので量が少ないです。
赤穂浪士を題材にした小説はたくさんあるので、あえて少なめにしたのかもしれません。
赤穂浪士の作品を読みたい人は、別の作品にあたってみてください。
管理人が初めて読んだ池波作品です。大石内蔵助が主人公の小説です。
赤穂浪士は、浪人となった赤穂藩の武士が主君の仇を討つ話です。
あまりに有名な話ですが、知らない人もいるので触れておきます。
江戸時代の元禄期に、江戸城の松の廊下で赤穂藩藩主の浅野内匠頭が、吉良上野介を斬りつけるという事件が起こり、内匠頭は即日切腹させられます。
どうして内匠頭が斬りつけたかは様々な説があります。テレビドラマなどでは、朝廷の勅使を饗応する役を命じられた内匠頭が、指南役であった上野介の教えを乞うと、ウソを教えられたり馬鹿にされたりといった姿が描かれてます。
この当時は喧嘩両成敗が原則でしたが、吉良上野介に下されたのはお咎めなしでした。この裁定は赤穂藩士を激昂させるものでしたが、内蔵助は内匠頭の弟の大学頭によるお家再興に望みを見出します。
大石内蔵助は、浅野家の筆頭家老だったので、城の明け渡しを滞りなく終え、お家再興のために東奔西走しますが、願いはかないませんでした。
内蔵助は、堀部安兵衛や奥田孫大夫ら急進派を抑えながら、亡き主君の仇を討つため、準備を進めていきますが、様々な事情によって同士がどんどん脱落していきます。
内匠頭切腹から1年が過ぎた12月14日に討ち入りは決行され、旧赤穂藩士四十七人が本所吉良邸に侵入し、見事に上野介を討ち取ります。
翌年に四十七士は全員切腹することになりますが、この一連の事件は「忠臣蔵」として現代まで語り継がれています。
池波正太郎の「堀部安兵衛」
十代、二十代の安兵衛は、門限に遅れてバックレるし、女の尻を追いかけてストーカーみたいになるし、剣術の腕もそれほどでもありません。
失敗や挫折ばかりの安兵衛でしたが、人との出会いに恵まれていたおかげで、剣術の腕はみるみる上がり、武士としても立派に成長を遂げていきます。
この作品は、読みやすいのでどんどん読み進みます。真田太平記の頃に見られた特徴的な文章もなくなって、より自然で読みやすいです。
赤穂藩に仕えてから吉良邸討ち入りまでは、下巻の後半からです。
小説なので創作も多いかもしれませんが、自然とすんなり入ってきて読みやすいので、一気に読んでしまいました。
十四歳の春、越後・新発田藩の家来中山弥次右衛門の一人息子、安兵衛は、行きずりの山伏に「いまの世に剣をとって進むとき、おそらく安兵衛どのは短命であろう」と断言される。泰平の世に厳しい剣術の鍛練を強いる父を憎んですらいた彼は、もとより力による争いごとより学問を好んでいた。が、濡れ衣による父の非業の自死を見届けた瞬間から、「短命」への歯車は、静かに回りはじめた…。
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