中学生の頃に家出をしたことがあるのですが、そのときは愛知県の豊田市で知り合いになった人の家に数か月居候させてもらいました。
その頃、住んでいたのは横浜でしたが、横浜に帰ろうにもお金がなくて帰れず、仕方ないので豊田で知り合いになった人に紹介してもらった溶接の会社で働きながらお金を貯めました。
結局、数カ月働いてお金を貯めて無事に横浜に帰ることができました。
その間、お金がなかったのであまり贅沢はできませんでしたが、溶接会社で働いている間に一度だけ休日に名古屋へ行きました。
しかし、せっかく名古屋に行ったのに名古屋城は見ず、帰宅途中に岡崎城だけ見て帰りました。
今回は名古屋方面に予定があったため、十数年越しのリベンジのために名古屋駅で一旦下車して名古屋城に行きました。
名古屋城の概要
名古屋城は、愛知県名古屋市にある金の鯱(しゃちほこ)でも有名なお城です。
特別指定にもなっている日本の名城の一つでもあります。
名古屋城は織田信長が父信秀から最初に与えられた城だと思ってましたが、今の名古屋城は織田信長が生まれた那古野城とは違い、徳川家康によって関ケ原の戦い後に建築されたそうです。
「小説 徳川家康」にも書いてありました。この小説は長いけど面白かったです。
那古野城は、信長の父信秀が連歌仲間の城主今川氏豊を騙して乗っ取ったといわれています。
信秀は、尾張の守護代の重臣という身分(又もの)でしたが、「尾張の虎」と呼ばれ戦上手として近隣から恐れられていました。
近隣の松平清康や今川家ともたびたび戦って負けていません。
信秀が那古野を乗っ取った後、信長が那古野城で生まれたといわれています。
やがて信秀は、那古野城を家中でうつけと呼ばれて評判悪かった信長に任せます。今川義元を討つ前に、うつけと呼ばれていた頃の信長を認めたのは、信秀と斎藤道三くらいといわれています。
信秀急死後に跡を継いだ信長は、主筋にあたる織田信友を滅ぼして清須城を奪い、拠点を清須城に移したため、那古野城はやがて廃城となりました。
関ケ原の戦いの後、徳川家康が名古屋城を築城し、名古屋城は尾張徳川家の居城になりました。
名古屋城は、尾張徳川家の居城のまま明治維新を迎えています。
名古屋城へのアクセス
名古屋城へのアクセスは、名古屋市営地下鉄名城線「市役所駅」から徒歩5分、名古屋市営地下鉄鶴舞線「浅間町駅」から徒歩15分、名鉄瀬戸線「東大手駅」から徒歩15分です。
駐車場・駐輪場
利用できる日 1月2日から12月28日
利用できる時間 午前8時45分~午後9時30分
収容台数 普通車319台
普通車 30分ごとに180円
自動二輪車・原付 30分ごとに100円
名古屋城の見学
名古屋城周辺は観光客がたくさんいます。名古屋駅からも近いので人は多いです。
名古屋城は「特別史跡」です。
特別史跡というのは、日本にある名勝の中でも特に重要なものとして国に認められた史跡をいいます。
「清正公石曳きの像」 賤ヶ岳七本鎗で有名な加藤清正は尾張の出身です。清正は熊本城を築いた城作りの名人としても知られています。
「天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。」だそうです。
名古屋城の天守です。名古屋城は、アメリカ軍の空襲でほとんどが焼失したため、建物自体は新しいそうです。
「剣塀」によって、塀の軒に鋭い槍の穂先を並べて天守への敵の侵入を防ぐそうです。
名古屋城の大天守と小天守です。
多くの観光客で大変にぎわっていて、外国人の姿も多いです。
「本丸御殿」は、最近になって復元されました。
味わい深い風格が出るにはまだまだ月日がかかりそうです。
絢爛豪華な屏風に圧巻です。内部の屏風や襖は、当時と同じ技法を使って再現しているそうです。
襖に描かれた絵が非常に美しかったです。
対面所にある風俗図には、庶民の様子が描かれてました。
対面所は360度どこを見ても美しく、これぞ日本の芸術って感じでした。
建物内部はキラキラしていて、特にすごいのが襖の上のでした。
金のしゃちほこです。
名古屋城が再現できたのは、消失する前の写真や図面があったからだそうです。
一通り見学した後に帰りました。